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Lプロ合宿インタビュー②:むらっちさんの経験

2019年9月21日〜23日の三日間、研究所が主催する「プレイバック・シアター実践リーダー養成プロジェクト第7期」(通称Lプロ)の初回となる合宿が行われました。このインタビュー連載は、その合宿で起きたできごとや学びを、メンバーひとりひとりの語りとして記録し、お伝えするための企画です。第二回目は、参加者のむらっちさんのお話をうかがいました。

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行き場を決めずにはじまったストーリー


−合宿はいかがでしたか。

むらっち:

すごく楽しかったし、濃密でした。息抜きしているときまでプレイバックな感じ。

中でもいちばん経験として大きいのは、人生初めてのコンダクティング(※)をさせていただいたこと。これまでもプレイバック自体はいろいろ見てきていますけど、実際にコンダクターをして、本当にいろいろなことを感じましたね。

(※)コンダクティング……プレイバック・シアターの用語。場の進行役(コンダクター)が、語り手(テラー)から話を聞き出して一緒に即興劇を作っていくこと。

まず、コンダクターの席につく。で、テラー(語り手)を募集するわけなんですが、テラーが手をあげるまでの時間がある。そこを初めて体験しました。合宿なんだからいずれ誰かが手をあげるだろうということは想像がつくんですけど、それでも、「いやあんなやつには絶対話したくない」と思われることもありえるなあって思ったんですよ。「誰にも手を上げられないコンダクター」って、ありえる。それを短い間にすごく、感じました。それは本当に怖かった。だから、テラーが手をあげて来てくれたときは本当にうれしい。来てくれてありがとう、っていう感じでした。


それで、「将来のことを見ます」っていうことになって。テラーが三年後にはじめてプレイバック・シアターを提供しているシーンをやることになったんです。

はじめてだったので、後から考えると抜け落ちていることはいっぱいあるんですよ。こういう質問をすればよかったな、こうすればよかったな、っていうことはいくらでもあるんですけど、一番大きいのは、ろくにインタビューできていないままストーリーが始まってしまったこと。

テラーはすごく子供達に対して思い入れがある人で、ある保育園が舞台なんです。どんな保育園か聞いたら、収入の差もいろいろあって、様々な子供がいろんな状態できている、と言う。

それで、僕はそこまでしか話を聞けなかったんですよ。わざとじゃないですよ。たぶん、いっぱいいっぱいで聞けなかった。後から考えると、想像でいいですよ、そこにどんな子供たちがいると思いますか、何が起こりますか、とか聞けばよかったんだけど、そのときは気が回らなかった。

そんな状態で、子ども役のふたりがこっちでは泣いててこっちでは暴れてて、その状態の中で、テラーズアクター(※)はなんとかプレイバックをしたいと思うんですけど、とてもそんな暇はない……みたいなところからストーリーが始まるんです。

(※)テラーズアクター……プレイバック・シアターの用語。アクター(役者)の中で、テラー(ストーリーの語り手)自身を演じる役者のこと。

ひょっとしたら、テラーが見たいのは自分が成功するシーンかもしれない。そうするとオプション(※)を考える必要がある。それなのに、前でやっている幼稚園の子どもたちと困っているテラーズアクターが、もう、すごいリアリティなんですよね。行き場を決めてない状態でやっていることが、すごく、信頼できるっていうか。さっき言ったような心配も20パーセントくらいはある。でも、このストーリーが行き着くところが悪くなるはずがないっていう確信もあって、あとはテラーと一緒に見ていた。

(※)オプション……プレイバック・シアターで上演されたストーリーがテラー(語り手)の気に沿うものではなかった場合のための、再度話を聞き直す、結末を変えて再度演じ直すなどの対処法のこと。

そうしたら、テラーズアクターはプレイバック・シアターを行えず、泣いている子どもは泣いたままお母さんが迎えに来て帰ってしまい、暴れていたやつも帰ってしまう。そのあと、子ども役だったアクター(役者)が今度は園長先生の役になって出てきて、「今日はどうでしたか」と聞いたら、テラーズアクターが「なかなか大変で、思うようには行かない」みたいなことを言うんです。

感動しましたね。見ていて。変な感動ですけどね。でも、隣にいるテラーも同じように思っているだろうと言うのはちょっと伝わって。どういう風に終わるのかなあ、役者に任せるしかない、と思っていたら、テラーズアクターは最後に「まあいいか」と言ったんです。どうでもいい「まあいいか」じゃない。そこで切り替えて次に行く感じの「まあいいか」、というところで終わる。

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なんていうんですかね。そのとき、アクターたちは落としどころを持たないまま進めていたんだと僕は思うんですよ。本当にわんぱくな子ども、泣き虫な子ども、そしてはじめてプレイバック・シアターをする人。その人たちがその場にいて、そういう展開になった。ギフトのように感じましたね。俺は、テラーがどういう物語を見たいかまでは聞けなかったんだけど、あらわれたものがそうなっていたんじゃないかって思うんですよ。だから本当にプレイバックってすげえなあという感じが残っていますね。


コントロールできないものに身を捧げる


−むらっちさんの中で、そのことが合宿が終わってからもずっと残り続けているのはどうしてなんですか?

むらっち:

まず、自分には一切コントロールができない状況だったから。かといってアクターたちが状態をコントロールしようとしていたかっていうと、していないような気がする。その結果、「こうしよう」と思ったものではないものがあらわれていて、それが「こうしよう」と思ったものよりもすばらしいものだったんじゃないかと思うんですよね。


−むらっちさんは日頃から、コントロールされているものかされていないものかということに意識を払っていますか?

むらっち:

払っていますね。だって、コントロールされているものっていうのは所詮自分の枠でしか見ていないじゃん。でもコントロールしないでいたときに、自分の枠以外のところからどんどん物事が起こってきて、しかもそれが自分が思っているよりもうまくいって、自分もびっくり、みたいなことが起こる。それをプレイバックの中で僕は見た気がしましたね。

テラーが何を見たいのかはわからないまま、ただ「三年後、保育園ではじめてのプレイバック・シアターをやる」っていう枠しかない中で、みんながそのストーリーに、なんていうか、身を捧げてたと思うんです。それだけだと思うんですよ。ストーリーに奉仕していた。


−「ストーリーに奉仕している」ところを見ていて、むらっちさんはどういう気持ちになるんですか?

むらっち:

ちょっと涙ぐみましたよ、僕は。感じましたね、すごく。本当はもうちょっとテラーのことを気にしなきゃいけないんですけどね。これがどういう経験だったのかいまは位置付けることができないんですけど、でも、今後僕がプレイバックをしていく中で、きっと何か意味を持ってくる。宝物のような時間でしたね。

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カウンセラーから見たコンダクター


−他に何か印象に残っていることはありますか?

むらっち:

羽地さんが、ふだんどういう風にコンダクターをしているのかを本当にオープンにしてくれていたこと。たとえば、羽地さんにとっての「共感」は瞬間的にその場で生まれるものであって、したりされたりするものではない、とか。自分はカウンセラーの資格を持っていて、ついカウンセラー的に話を聞いてしまう。でも、コンダクターとテラーの関係は、カウンセラーとクライアントの関係とは違う、もっとイコールの関係である、ということが、「共感」の話を聞いてから腑に落ちた。

あとは、「映像を見る」という聞き方。言葉だけを聞くんではなくて、映像を一緒に見ながら聞く。ふだんプレイバックを見ていると、「羽地さんなんでそんなこと聞くの?」って思うことがある。

たとえば、「疲れて帰ってくる」と言ったテラーに、「家でなにするの?」と聞く。そうしたらテラーが「漫画を読む」と答える。それは「私は忙しくて疲れた」っていう話なんですよ、趣旨としては。なのに、羽地さんは、「漫画はどんな本を読むの?」「じゃあ好きな登場人物は?」「それはどういう登場人物?」って聞いていく。

僕にしてみれば、テラーは疲れてる話がしたいのに脱線してんじゃねえかと思うわけ。それなのに、テラーが好きな登場人物のことを話していたら、最終的にはその登場人物とテラーがシンクロしたりする。それで、シンクロする匂いみたいなものがあるのかと思って羽地さんに聞くと、「僕は絵を見てるだけ」って言うんですよ。それで、自分でもその聞き方をしてみると、確かにカウンセラーがするような質問はしない。


−たとえば、疲れて家に帰って漫画を読む……という話を聞いたとき、カウンセラーだったら何を質問するんですか?

むらっち:

カウンセラーだったら、まず「そうか、疲れてるんだよね」って言って、「疲れてるってどんな感じ?」と本題を掘り下げていく。カウンセラー初心者だと、「相手の言うことをおうむ返しする」というテクニックがあったりもする。でもそうじゃないよね、プレイバックって。

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プレイバックをやるんだったら、playをしたい


−その違いって、何の違いによってあらわれてくるものなんでしょう。

むらっち:

プレイバックは、playだってことですよ。

コンダクターもplayしているし、アクターもplayしている、だから誰も知らないものができたりする。自分がもしプレイバックをやるんだったら、playをしたい。少なくとも俺が合宿で見たプレイバックは、セラピー的に、こうなんですね、ああなんですね、っていうものじゃなかった。

合宿で感じた衝撃は大きかったですね、すごく。はじめてプレイバックを体験したぐらいの衝撃がありました。「絵を見るように聞いてみる」って、相手を癒すのが目的じゃないんだよね。相手の話を聞いて癒そうなんて思ったりしたくないなあ。話を聞いて、みんなでそれをplayする。結果的に癒されるかもしれないけど、そこを狙っているわけじゃない。


−「playする」というのはプレイバックのplayでもあると思うのですが、あえて日本語に言い換えるとしたら、むらっちさんは特にどういうことをplayと呼んでいますか?

むらっち:

祈りに近いものだね。なにか、捧げる感じ。ちょっと大きいかな。でもなにかそういう可能性があるなあと思った。捧げ物のような感じがする。じゃあ誰に捧げてたんだ、ストーリーに? 少なくともテラーに捧げていたわけではないと思う。テラーの話だって捧げものかもしれないし。狙わないで、捧げている、その結果なにかが降りてくるためのもの。


★記事中の写真はむらっちさんが合宿中に撮影したものです。

(インタビュー・記事 Lプロ7期生/研究所スタッフ 向坂)

#インタビュー #ワークショップ #プレイバックシアター

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