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うつくしいもの(4)「きえていく美しさ」【岩橋由莉連載エッセイ】

最近、Facebookの記事やユーチューブ、TVで亡くなった方の声や映像をA.I.が再現するものを立て続けに見た。今後は映像や音声だけでなく、嗅覚、触覚のコンテンツも増えていくだろうとのこと。

ダメ押しはキアヌ・リーブス主演の映画「レプリカズ」を見た。事故で突然亡くなってしまった愛する家族をクローン化し、意識を移し替えて完璧なレプリカとして蘇らせて生活する。

すごい! それを見てると人が死ぬということがどういうことなのか、わからなくなってきた。

そして自分の中にモヤモヤがたまっていった。何のモヤモヤなのか自分でもわからなかった。


2月という時期は亡くなった父の誕生日でもあり、命日でもある。7年前、彼の誕生日に歌のレッスンをプレゼントした。2月になると、その時のことを思い出す。

父は身体の機能も認知の機能も落ち始めている時だった。つい数ヶ月前までよく歌を口ずさんでいたのに、年が明けて寒くなったせいか全然歌わなくなり、口数も減った。私としてはここでもう一度声を出す楽しさを味わって落ちていく加速を止めたい、そんなかすかな希望があって、当時私が通っていた歌の先生に父の状態を告げた上で快く承諾してもらった。

1時間の歌のレッスンを予約したよ、と父に言った。

すると、そうか、ひとこと言ったきり。やはりそれからも家では歌わなかった。


誕生日の日、私は父と車でレッスンに出かけた。普段、二人で出かけることはほとんどない。日常でもほとんど話さずに二人とも黙ってテレビを見る。そんな感じだった。

高速を使って1時間くらい和歌山の南の方へ走っている間、やっぱり彼はほとんど喋らなかった。

高速はトンネルがたくさんあった。

「……なんという?」といきなり私に話しかけたのはトンネルをいくつか過ぎた頃だ。まさか話しかけられるとは思わなかったからびっくりして聞き返した。すると

「何ていう名前なんだ?」

「……」

何を聞かれているのかわからなくて黙って運転した。また違うトンネルに入った時に急にわかった。トンネルの名前を聞いているのだ。それからはトンネルに入るたびに「〜というトンネルだよ」「こんどは〜と書いてある」と口に出していった。彼は黙ってうなずいていた。そんなことをしていたら高速の出口を間違えて、30分遅刻してしまった。

歌のレッスンでは、彼はものすごく小さな声で歌った。先生はにこやかに手を替え品を替えいろんなアプローチをしてくださった。父は頷きながらできることは実行し、できないことはやらなかった。先生が父の声を素直な声だとほめてくださった時、中学生の時に教会で賛美歌を歌っていたことがあります。と少し恥ずかしそうに言った。きいたこともないことだった。

その時の写真を私は一枚だけ撮った。録音をしようとは思わなかった。

そのあと、先生が父を横に私のレッスンもしてくださった。わたしは風邪をひいて鼻声だったけど歌は鼻声にならなかったことをなぜか覚えている。父は私の歌う姿を何も言わずに見ていた。

帰りも二人とも黙っていた。もうトンネルのことをいっても関心はなさそうだった。

沈黙が続いた後、彼が突然「今日は楽しかった」と言った。

そして「お前は歌で食べていくのはおそいのか」と言った。

だいぶんあとになって、それは褒めてくれていたのだとわかった。

その時はわからなくてとんちんかんな返事をしたと思う。


帰って数日経った時、父が毎日通っているデイサービスの職員の方から、思わぬことを聞いた。歌のレッスンの前日まで、帰りの送迎の車を待っている間に父は掃除のおばちゃんを相手に何度か歌を歌っていたというのだ。娘が歌のレッスンをプレゼントしてくれたから、といっていたそうだ。

そのレッスンのあと、父はもうまったく歌わなくなっていた。

その時のことをわたしは時々思い出す。でも父の歌声の質感は思い出せない。

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(岩橋由莉)

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