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【Rich vol.1】「創刊の辞」

※本文章は2024年5月に刊行『Rich  vol.1』に掲載されているものです。



 創刊に際し、雑誌のタイトルは「Rich」と名付けた。これは本誌を立ち上げる仲間たちが、皆一様に立教池袋中高文芸部OBであることに由来する。

 立教池袋中高はその略称を「立池(りついけ)」として親しまれており、それを音読みして「リッチ」。在学していた頃の記憶を掘り返せば確かに、良くも悪くも年相応でないブランド品を身に纏った金持ちの御坊ちゃんがそれなりにいる学校だったから、言葉遊びとしては面白い化学反応。いや、自分もその一端だったのだろうけれど。

 でもこの名前に決めてからから、リッチであるとはどういうことか、とも思うようになった。その度に祖母の声が脳裏をよぎる。祖母はいつも豪快な人間で、今でも相変わらず一癖も二癖もある人だけれど、でもリッチの象徴のような人だ。ワインひとつを手に取って「高いワインが他と違うところ、分かる?」と聞いてきたものだから、僕はあれこれ知識をひけらかしたくなったけれど、祖母から出た答えはあまりに単純なものだった。祖母はあのとき「気持ちが違うのよ」と高笑いしたのだ。当時は「なんだよそれ」と笑い返したけれど、でも核心をついた言葉だと思う。

 値段というのは、もちろん実用性に基づいた値でもあるけれど、それを受け取ることで変化した私たちの気持ち、そのあらわれでもある。ブランドとは、そのロゴひとつで私たちの気持ちを変えてくれるから相応の高価さを身に纏う。そしてロゴには、堆積してきたブランドの歴史とプライドが根拠として充満する。「高い」ということにはあまりに意味があるのだ。それを冷笑しているだけではいけない。そして我々は今、その意味を組み上げていくスタートラインに立った。

 リッチという言葉を悪く受け取ることはいくらでもできて、大抵そういうとき、文芸とは相性があまりに悪い言葉になる。文芸が言葉、あるいはそれによって表そうとした感情という、皆が普遍的に持ち合わせているものを扱う以上、文芸は誰にでもひらかれている必要がある。対してリッチが悪用されているとき、その意味にはある特定以上の水準に達した人しか踏み入れることを許さないという、それ以下を切り捨てるニュアンスがある。ただそれはあくまでも、私たちの僻みを含んだ俗称だ。リッチという言葉の本質は、たどり着いた豊かさだと思う。それは何も経済面ばかりを指す言葉ではなくて、文芸が向かう先にもリッチはあるのだ。対象を書くとき、対象が書かれるとき、私たちの言葉と感情は確かに豊かになっているはずだ。

 リッチとは豊かさ。豊かさとは読者の気概を変質させる品位ではなかろうか。あるときはパリに堂々と身構えるオートクチュールのように、またあるときは拳を掲げて高々と歌い上げられるロックンロールのように、文芸という茫漠とした荒野になんとも雄々しい風を吹かせるような力強い場を、筆の輝きを何よりも信じるあなたと共有できれば嬉しい。

 創刊号に集ったのは、先に述べたように立教池袋高校を出た七人。ただし、豊かさが共有されて悪いことはないはずで、七人の乗った船は枠をいつでも飛び出す準備ができている。もしもそこに荒野がいずれむかえるはずの豊穣を信じて疑わない人がいるのなら、喜んでこの船は迎え入れるだろう。この『Rich』は、そういった漁火のような書き手たちにささやかながら場を提供したい。未熟なこの雑誌が集う火によって、聖火のような大いなる火として灯されることを、私は夢見てやまない。

Produce & Direction アトリエ ヒトノマ


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