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《なにか》めいた練習①〜近況報告:10,11月〜

・まえがき

 へいへいへいへい、皆さんきっとあいも変わらずな日常を過ごしているのでしょうね。いや、別段何か書くきっかけがあったわけでもないけれど、(そもそもボクは書くとき、比較的きっかけに頼らないことが多いのはさておくとしても)、しかしながら書かないでいるというのは流石に「お前は語り得ぬものしか見ていらっしゃらない?なるほど??」などと煽られても仕方がなくなってしまうので、いや、語り得るものがなにかあるわけでもないけれど、せめて自分が言葉を失わないために定期的に何かを書こうと思ったわけですよ。ということで、考えたことを脈絡もなく連ねる、随筆に似たようなものを書きます。定期的に。……って言って定期的に成し遂げたことはないのだけれど。ちなみに写真は壊れたスマホで撮ったIKEAのサメ

・とりあえず、近況報告

 とはいえ、何を書こうか決めずに始めたので、とりあえず近況報告くらいしか書くこともないわけでございまして。大体10月くらいからだと、下記のようなことがありました。ちなみに、牡蠣は大好物で、当たっても食べ続けていますが、柿はあまり得意ではありません。

・懲りずに路地裏ナキムシ楽団で下っ端として働く(10/3~6)

・白衣風アウターにハマる。
一部でマッドサイエンティストだのドクだのと言われるようになる。(10/6~)

・熱で一週間ダウンする(10/5~12)

・iPhoneXをカーペットに落としたら割れるわけでもなく壊れる (10/14)

・iPhoneXが洗濯されて無事にお亡くなりになる(10/18)

・iPhoneXを新しくするついでにMacBook Proが新しくなる(10/20)

関西現代俳句協会青年部に招待作品として10句連作が掲載される。(11/1)

・青黒い髪になる。まるでカミーユかガルマ。(11/3)

大学のサークル「立教大学児童文学研究会」の2019年度学園祭号が販売される(11/2~4)

 まあ、だいたいこんなものです。サークルで販売した『SPF2019「Bibliotheca Magica」』の中には〆切当日に慌てて書き終えながらもしっかりと提出された作品があったので興味のある方には手にとって欲しかったのだけれど、再販はあるのだろうか……新入部員なのでよくわからないです。興味のある方はご連絡ください。連絡をくれた方には調査の進捗をお伝えします。
 なんというか、災難が多かったようにも思えるけれど、大体いい思い出よりも悪い思い出の方がいつだって衝撃的で、尾を引く気がするのは僕だけだろうか。この程度のことはもしかしたら科学的に立証されているのかもしれないな。

・記憶とか昨日とかの話

 しかし、記憶ほど曖昧なものもないわけで、記憶していることは全てではないどころか、真実ですらない可能性もあるわけだろう?それを頼りに生きている僕らという存在はとっても不思議。まあ僕らの不思議さは置いておいて、この曖昧でしかたない不思議な概念について大事に思考しようぜ、ベイビー。
 いや、記憶というものの実態なんていうのは勿論聞いたことがあるし、脳のなんたらという器官に蓄積されるだの、短期と長期がなんだだの、いろいろ聞いたことあるけれど、結局なんだか、その存在をボク自身は説明しきれない気がするのよね。例えばボクは昨日の夕食のことを《覚えて》いるし(ちなみに書いている時点での昨日-11/7の夕食はアサリのパスタと豚大根とエビとチーズのアヒージョ……とっ散らかっているな)、その味や感想を言えるけれども、それが実際に《在った》って言い切れない気がする。ボク自身そもそも昨日という把握自体、作られた世界だとしてもおかしくはない。
 誰かが「人間が想像したもののほとんどを人間は創ることができる」的なニュアンスの発言をしていたけれど、それにのっとるならば、人間の想像の産物には、有名どころでいえば『攻殻機動隊』の擬似記憶や、個人的に気になっている作品でいえば『七曜人格症候群』の主人公の記憶といったものがあるわけで、主観だけなら絶対と言い切れるしそれを辿ることもできるのに、それは存在しないと言われる未来だってなくはないのかもしれない。
 これは、ある種の大胆な想像だけれど、この記憶や昨日という不確かで確かな概念は、どことなく死後の世界とかそういう概念と同じ匂いを感じる。というより、僕らの死後の世界の幻想は昨日までの過去から来ている気がしたりするんだ、うん。死後の概念は絶対だとは言い切れないし、昨日を見ているその瞬間は、今に存在しないという観点でいえば、死後とそうそう変わりはないんじゃないかな。現にボクは昨日が増えるたびに虚無感に苛まれていることは否定できないし、誰と一緒だったとしても感じる寝る直前の孤独は、それはそれは寒いもので、冥界を冷気で捉えることにも存分に納得がいくしね。まあ、過去も未来も、現在という概念の志向性の違い云々とか言われていた気がしなくもないし、当然といえば当然か。ちなみに、フッサールもハイデッカーも積読中です。
 ともかく感覚だけでボクが言えることは、ボクはボク自信の記憶を絶対だとは言い切れないし、ボクは昨日が生まれるたびに、自分の中で死後と遭遇した気になるってことですね。……つらつら述べてうだうだ考えたけれど、知識も学力もそれほどあるわけでもないボクのこの発想は、きっともう誰かの想定範囲内なんだろうな。勉強勉強。

 夜もふけてきたので、もう寝ます。昨日をつくる作業だ。昨日という死後をつくる作業。ぐっない。

・あとがき

 「書いてみたけれど、もしかしてこれって、長いツイートレベルなのでは……?」




……はい。言い訳はない。


P.S. そういえば先日、ネットプリント「セレナーデ」はどうなりましたか?と聞かれました。二人とも忙しかったので10月は勝手ながらお休みさせていただいていました。11月は出せると……いいなあ……。

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