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《なにか》めいた練習② 〜しゅくしゅくと〜

 結局みんな人のことが好きだなあ、と思う。別に人に会ってもいないし、話してもいないけれど。でも、寂しいものは寂しいし、静かなものは静かだし、自分の中の感覚を世界に当て嵌めたっていいんじゃないかな、なんて、起きられない毎日に。人のことは好きだし、髪も髭もとっ散らかったりしたし(現に髪はとっ散らかったまま)、買い溜めのマンガは読み終えたし、頼んだ教科書は月末になってようやく届いたし、そろそろサーフィンしたいし、お金はないし、ひさびさのセブンイレブン。電球がなんとなく青い。

 本当に、本当に別段何もなくて、悪い毎日。継続して行えたこともないし、何となくさまざまな小さな技術は育ったけれど(それは料理とかベジェ曲線とか、あと、不安定に生きると言いきる術)、悪い毎日。このまま生きられるようになりたくない。生きられるようになりたくないよ。失われていく魔力。見えなくなっていくたくさんのもの。生きていたが失われる生きている。嫌だなあ。さまようような睡魔。

 「ハバナイストリップ!」そう告げて夢に挑む……つもり。実際は寝つきが悪くて四苦八苦して、日付を過ぎた頃に布団に入ってから、気がつけば4時ごろ。気が紛れない。例えば様々な文筆家が書き記すような、「重苦しいなにか」とか、そこまでのものではないし、息苦しくなるような憂鬱でもないけれど、軽くて、冷たい物がじんわりと体内に蔓延し、小さくゆっくりな呼吸を続ける。暗闇の中に沈む感覚もない。そもそも窓から差し込むぼんやりとしたマンションの廊下の光や、デジタル時計の光によって、完全ではないまでもその輪郭を保ち続ける自室の風景に溶け込めるわけもない。しゅくしゅくと進む時間。隔たっている空間。静寂、そして耐えきれなくて浴び切るブルーライト。くだらないアプリケーションからの通知。河に流れる一筒。保つものすらないけれど、なんとなく無表情のまま保たれた秩序の中にいる感覚がする。悪い毎日。

 自分のかたどり方を忘れてしまっている。思ったよりも簡単に忘れてしまえるもので、何だか海を見たくなった。それも、とびっきりの青空のした、心地よい音を立てながらその表層を揺らす、苦いくらいに綺麗な海。ボクの脳内には、永劫その風景が染み付いていて、意識も言葉も体も、きっと、失恋の記憶でさえ、その海のどこかを流れ、辿り着け。西海岸の鮮やかで古めかしい砂浜。

 もしも自分の海からちゃんと自分を探し出せたら、つまり、意識のリハビリテーションを終えて、悪い毎日を受け入れて自分を追える日になったら、せめて、この時期に何かを動かしたいなと思っている自分がいる。動かす構想と動ききったその後ばかりを思い浮かべているけれど、でも確かな事実は、なにかを表現したいという欲求。あらわしたい。あらわにしたい。しゅくしゅくと毎日。

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