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呪いのための

 今年も俳句甲子園が終わりました。ボクが学生コーチとして関わらせてもらっている立教池袋高校は、Aチームが団体として3位入賞、個人優秀賞と入選がそれぞれ1名。Bチームが団体では惜しくも初日での敗退だったものの、個人優秀賞を2名輩出するという、学校史から見れば快挙と言える、申し分のない結果でした。

 ただ、ボクは簡単に「おめでとう」とは伝えられません。例えばAチームに対しては、最後に負けて、その結果もらう賞の悔しさをボク自身も知らないわけではないし、3年生として、入選で自分の名前が呼ばれた時の「これ以上の賞をあなたはもらえません」と突きつけられる絶望の話も多くの友人から聞きます。彼らが、ただ全国に行きたかったわけでも、ただ句を出したかったわけでもなく、全国で優勝したくて、自分の句で最優秀を取りたくて、「時には定期テストや模試を犠牲にして」全力で努力をしてきたのを間近で見ているからこそ、彼らに対して、その言葉で大会を終えることはできませんでした。

 「学生コーチ」という肩書をもらって、もう5年目になります。なんなら全国大会のために松山の地を踏み締めた回数は、今年で現役時代を越えました。Aチームのメンバーは、コーチとしてはじめて高校の3年間を、コロナを挟まずリアルに見届けた代であり、キャプテンの辻村と部長の赤松は、ボクが高校3年生のときの中学1年生、つまり現役時代最後にできた後輩です。どの生徒もどの学年も、一癖も二癖もあるものすごく可愛い生徒だけれど、特に辻村と赤松は、「先輩」という立場でも接していて、思うことはすこしだけ多かったり。今の文芸部を、例年にも増して層の厚い学校に仕立て上げてくれたのは、彼ら二人が先頭に立って学び、高め合ってくれたから。その結果として、AもBも全国で太刀打ちのできるチームにまでなったのだと確信しています。

 コーチの仕事は「勝たせること」や「賞を取らせること」ではないと思っています。生徒が定めた目標まで全力で向かえるように支えること。牽引したり、後ろから押し動かしたりするのではなくて、併走しながら彼らが走り続けるために何が必要か、一緒に考えて、彼らが求めたものを即座に用意する、そんな仕事だという考え方でボクたちは彼らと接してきました。だから、努力したのも、その結果を掴みとったのも彼ら自身だと証言できます。彼ら自身が、紆余曲折を、苦悶や挫折を経て、勝手に成長して、勝手に強くなっていく様を見ながら、親心とはこういうものか、と未熟ながらに思うなどしていました。だからこそ、彼らの一挙一動に心が動かされ、見守ることしかできない我々もどうしても堪えられないものがあったのは事実です。どうやらそれが、より多くの人々に伝播していってくれたのは、ありがたい限り。

 ボクより以前もそうでしたが、多くの人が立教池袋という学校をこの大会で応援してくださり、多くの人が今年も「〈立教劇場〉期待してるよ!」と声をかけてくださいました。本当にありがたいことです。ボクが使い出したこの看板、一度も強制したことはないのですが、誰かが誰かに憧れて、その誰かがまた誰かの憧れになって、毎年名乗りが引き継がれていく。劇場には多くの想いが確かに蓄積されていって、また新しいショーを披露してくれている。すごいことだと思いますし、その循環の一員に、そしてそれを見守る一員になれた運命がただ嬉しい。でも、あの名乗りは、決して軽いものではないことを、ボクは誰より知っています。

 ボクが「立教劇場へようこそ」と試合をはじめるとき、それは自身への鼓舞であり、覚悟の表明であり、自ら背水の陣を敷くような決意の象徴でした。あの名乗りのリスクは、例えばその行為の本質が努力や真剣さといった、高校生に求められる「無垢さ」を意図的に隠してしまうことにあります。それはつまり、一歩間違えれば「生意気で」「ちゃらんぽらんで」「出場を舐めている」高校生として批判を浴びる可能性がなくはないからです。実際にボクの現役時代も、あるいは今でも、心無い言葉というのが自分たちの目の前にあらわれてしまうことはありました。
 (余談として、しかしはっきりと思うのは「俳句をやっている」と妙な自称をする人たちの投稿に〈無理解さ〉が顕著に見えてしまうこと。それはもちろん、語調のキツい非難の言葉や、自分の不快に感じる解釈の方が目についてしまうから、ということはあるだろうけれど、しかし多くの信頼できる「作家」たち、俳句でいうのであれば「俳人」たちはやはりこの〈無理解さ〉の中にはなくて、出場した彼らに対して攻撃的に批評まがいのことをするのは「俳句をやっている」人たちなように見える。これは主観的な把握なので事実ではないかもしれないけれど、結社や俳誌、俳句団体などの、権威化しやすい「肩書」を簡単に背負えてしまうこと、そしてそれに自惚れてしまうことの危うさを感じます。その勘違いの権威と自惚れは、次第に根拠のない批評家気取りを生み出して、さらに批評家気取りは非難家になって、しかもその発言が出場していた当人に届きうるわけで。言葉が奪われることがあってはいけないけれど、SNS全盛の時代で、高校生の大会に対して口を開くことの繊細さをボク自身も改めて考えながらこの文章を編んでいます。)

 彼らが名乗るときもまた、そうした重圧や枷を自らに強いていたのだと思います。最初こそ名乗りはかたちだけに終わってしまっていたかもしれない。でもそれを乗り越えて、彼らは彼らで、新しい自分たち色の劇場を組み立てました。学びつづけるなかで、彼らがたどり着いた境地。自分たちの俳句と、対戦相手の俳句と、チームメイトと、対戦相手と、そして俳句というジャンルと真摯に向き合い、その瞬間を楽しみながら全力で語るということの格好よさは、多くの人に伝わったはずです。まだまだあどけなくて頼りない18歳の声と身体で、これほどまでに人を揺り動かすエネルギーを放てたことの凄さ、自負してよいのですよ。

 ボクらにとっての俳句甲子園という場、つまりは、青春の限られた時間の全てを捧げた大会というのは、結果的に我々にとって呪いとして刻み込まれます。美しい思い出だけではありません。すべてが風化して「よかったね」となることなんて、ないんじゃないかと思います。苦汁を舐め、無力感と行き場のない怒りや絶望が自分を締め付け、その縊痕にも似た感情は永久に残ります。おそらく彼らも明るい思いだけで卒業をしていくわけではなくて、きっと至高の意志を持つ彼らのことだから、優勝と最優秀と話題性の総取り以外のどのような結果でも心の中に晴れない霧を抱えてしまったのだろうな。そしてそれは、ボクたちも同様に。毎年解呪されることを信じて松山に乗り込んでは、またその被害者を増やしてしまったと呪いが重たくなっていく。賽の河原で石を積み上げ続けるような行為。それを続けるのは「俳句が好きだから」とか、「俳句甲子園が好きだから」なんて綺麗な理由ではなくて、出場する側も、支える側も、どこかにその呪縛に対する深いコンプレックスと、呪縛の先にあるものへの羨望を信じてしまうから。この縊痕が心から消えることはないでしょう。

 じゅくじゅくとするその痕をはじめて心に刻んだBチーム。俳句歴も浅く、チームとしても未熟さが際立っていたものの、中学1年生からずっと在籍していたキャプテンの小林を中心に、先輩に引っ張られてぐんぐんと成長していきました。この夏ひとつ増えた、その心のもやが、君たちをいっそうにチームにしてくれると思います。敗北は不能の証明ではありません。むしろこの敗北によって味わった感情は、チームで一番共有できるものなのかな、と思います。個人賞を取れた人も、取れなかった人も、その悔しさを忘れずに立ち向かうことを続けてくれれば。君たちが普段練習相手にしてきた先輩がたの強さと、その彼らに付いてきた自分たちを信頼して、また来年にむけてがんばっていきましょう。

このくらいまでを小鳥と決めている   小林佳武以
柔道を見やう見まねの洗ひ髪      大竹七生
トマト抱へてしづかなる停留所     栗本拓実
星月夜アイコンにするすぐ戻す     川本伊吹
ジーンズの清流に似て秋桜       栗山輝

試合不使用句・非受賞句から抜粋

 そして、Aチーム。君たちは、応援している我々に本当に大きな夢を見せてくれました。俳句に没頭する辻村と、その辻村を大好きな5人で出来上がったチームだと思います。絶対的エースだけれど、どこか抜けていて、愛されるキャプテンだった辻村。屈指の実力がありながら、朝がとびきり弱くて、寝癖がトレードマークだった部長の赤松。誰よりも人前に強くて、でも誰よりもナーバスで、一番のいじられキャラだった岡部。この代最初の賞を取り、重圧の中で最後は飄々とした喋りも身につけた三宅。短詩の確かな実力を持ち、でもみんなのだらしなさを最後まで憂いていて、チームの風紀委員を全うしてくれた小幡。自分から志願して補欠になって、常に俯瞰した指摘でチームの力を底上げしてくれた望月。句柄も性格もバラバラで、いつも賑やかで、本当に良いチームでした。願わくば、これからの人生も支え合う、最高のチームであり続けてください。君たちを教えに行く時間が、君たちに困らせられる時間が本当に大好きでした。

虫籠のなかにいつしか虫の道      辻村幸多
鯉の口ひらけば傷や星月夜       赤松優
病院のあたりは低し星月夜       岡部優司
道産子のばしやばしや林檎洗ひをり   三宅爽太
星月夜切手舐めれば少し酸い      小幡曜

試合不使用句・非受賞句から抜粋

 結局彼らに呪い以上のものをあげられたのかと言われたら、自信がありません。むしろ様々なものをもらったのはボクの方でした。彼らが戦いの中で語る言葉の片鱗に、日々の活動の中で見つけた言葉が出てくると、ボクたちの届かなかった世界で、ボクたちを共に戦わせてくれている気がして、胸がいっぱいになりました。ひとりの作家として、ひとりの指導者として、ひとりのOBとして、君たちを誇りに思います。あの風景を見せてくれてありがとう。3年間、お疲れ様でした。


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