俳優オタクも結局「舞台」という芸術が好きだよね、という所感

 先日、推しのソロライブがあった。既婚者の推しをなかなか受け入れられない自分が嫌で、これを最後に降りようとしていたのだけれど、終演後からなんだか憑き物が落ちて身も心も軽くなったような心地なので、調子に乗ってこの記事を書いている。

 近況はこの辺にして本題に入ると、今回言いたいのは、

「俳優オタクって、なんだかんだ舞台そのものが好きじゃね?」


というところである。
近年の舞台業界において、出演キャストきっかけで観劇するキャスト主義と演目で観劇する作品主義は完全に独立しており、双方が共存することはあり得ない、という言説はかなりの頻度で目にする。(四季などはその作品至上主義の典型例だ。もっとも四季は故・浅利慶太氏からの信条だと思うのでそれを否定する意図の記事ではない)
けれども、実際に、先の言説内でキャストでのみ集客している舞台とされがちな2.5次元舞台に多数出演する「若手俳優」を追っかけている身からすると、首をかしげる機会はかなりある。
 私のよく話す俳優オタクたち(大半が一つの舞台を二桁公演見るタイプ)は、普段「〇〇くんかっこいい、結婚して〜!」と叫ぶその口で、「今回の舞台まじ虚無だわ」とか「この演出家、〇〇の良さを全然生かせてないから二度と関わらないで欲しい」と言っているからだ。かくいう私もその一人である。推しの出番が多い時やかっこいい衣装を着てキラキラしている時はもちろん嬉しいけれど、出番が多くはなくても物語のキーパーソンを任されていたり、あるいは推し以外の俳優さんのお芝居で胸を打たれた時、「この作品に出会えてよかったなあ」と思う。
 本当にキャストの外見だけを見に舞台に足を運んでいたとしたら、このような現象は起きないだろう。
 もちろん、今まで見てきてよかったと感じる舞台の多くは、推しの出演を契機に観劇した作品だけれど、年に何本も舞台に出るそこそこ忙しい俳優複数を追いかけていて、すぐに思い出す作品が擬似キラキラアイドルレス舞台ではなく、出番が少なくとも演劇としての満足度が高かった小劇場舞台やチケット代15000円で出番は30分の配役だったミュージカルなのだから、私はこれからも胸を張って「演劇が好きです!!」と言い続ける。推しが結婚して病んでも、接触の対応で泣いても、レスがもらえなくて辛くても、私は演劇そのものが大好きだ。
つまり何が言いたいかというと、

「演劇の客層の門戸を広げたいと言いながらキャスト主義を完全否定する制作、二枚舌すぎる!」

なんとかならないものかね。


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