本は読まれないためのものでもある

2020/05/30(Sat.)

 最近は永田希著「積読こそが完全な読書術である」を読んでいます。この本は一般的にネガティブなイメージで語られることの多い「積読」という言葉の価値反転を促し、本を手元に置いて積んでおくことことが読書という行為の根幹であることを論じます。積読とは興味があって買ったは良いけど、結局読まずに机の上に積んである状態を揶揄した言葉です。僕自身も勢いに乗って買ったは良いけど読んでいない本が本棚にたくさんあります。

 本を読んでいて印象に残った部分として、1)完全な読書はない、2)本は読まないためのものでもある、3)本のつながりを意識する、という3つのポイントが挙げられます。

 1)完全な読書はない、という問題提起する部分では、私たちは本に書かれていることを完璧に理解したと言えることはできないと述べます。他人と同じ本を読んでいても、必ず自分の理解とは異なる理解・解釈が相手に存在する可能性が残っており、その点において誰も完全に読書したとは言えないのかもしれません。実は本のページを全て読みきらなくても表紙をみるだけ、レビューを読むだけでも「その本を読んだ」と言えてしまうのです。そのように考えると、一度本を読んで自分なりに理解をして本棚に戻し、再び本を開いて本に書かれた内容への理解を改める、という終わりなき読書の繰り返しこそが本来の読書体験なのかもしれません。
 2)本は読まないためのものでもあるとは、本は誰かに読まれるためでもある一方で、書かれた内容を保存するためのモノでもあるということです。つまり本は開かれた時間だけでなく本棚に閉まってある時間も本の役割を果たしているというのです。だから積んで手元に置いておくことこそ、本の本来の役割を果たさせているのであり、積読によって本に罪悪感(うしろめたさ)を抱くこともないのかもしれません。
 3)本のつながりを意識するとは、情報過多の時代においてどんな本でも手元に置いておくのでなく、重要な本を起点として本のつながりを意識することが大事という意味です。とある学問には、その学問を支える基本となる本があり、それを起点として様々な研究本をつなげていくことでその分野の学問に対して詳しくなっていきます。ここで面白かった話として、重要な本は読むことが難しい本が多く、通読することに時間がかかるが、重要な本を読んでおくことで関連本の読むスピードが早くなれるとのことです。

 この本を読んで本を読むことのプレッシャーも減り、時間がかかっても通読すべき本と読み飛ばして読んでも構わない本の区別ができるようになったかな。おすすめです。

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