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教頭→私の記憶(2024/04/02)

・ハンバーグを食べに行った。ハンバーグ。本来はラーメンを食べる予定だったのに、定休日という壁に押しつぶされてしまい、急遽食べたハンバーグ。その店はご飯のおかわりが無料で、無限に白米を堪能していた。お茶碗にして3杯。

・これは毎回提唱している説だが、全ての食べ物はご飯のバーターである。いかにご飯を美味しく食べられるかという点が重要だと勝手に解釈している。焼肉という食事スタイルも、美味しいお肉を焼くことによってご飯をたくさん食べるのが目標だと思っている。万物はご飯のおかずである。

・「中学の同級生と久々に会うことになって、待ち合わせ場所に向かうと、たまたま中学の教頭先生がいた」という話をした。よく分からない奇跡だ。ついこの間のエピソードなんだけど、妙に気に入っている。同じ人に4回くらい話してしまった。陣内がファミコンにカレーをかけた話をする頻度と同じくらいのペースで、教頭先生と会った話をしている。

・この話には有り得ないポイントがあって、なんと懐かしの教頭先生に会ったというのに話しかけなかったのだ。多分、私から見る教頭先生の記憶と教頭先生から見るいち生徒の記憶というのは不均衡で、自分が忘れられているという事実を確定させたくなかったのかもしれない。今思うと、話しかければ良かったと後悔している。例え忘れられていても、現在では認識してもらえるのではないか。過去というのは曖昧で、話しかけていっぱい記憶を押し付ければ記憶も改竄されるのではないか。仮面ライダー電王みたいに。

・中学からのグループがある。そこでの会話を友達は「過去に囚われている」と評していた。トークテーマや例えが中学時代の話であることが多く(中学の同級生グループだからという理由もあるが)現在の話はあまりしない。そんな時の止まった集いに対して、過去への執着を指摘した友達の視点にはハッとさせられた。それから彼と、焦ってこれからの話をしてみた。その結果、ゴールデンウイークの予定が決まった。少しは未来を見れたのかな。

・誰かが犬のシールを貼っていた。公共の建物に。

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