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水(2024/06/03)

・ちょくちょく過去の出来事を記事にしている。それすら筆が進まなくなってきて、全てを破壊したい衝動に駆られる。海の底で物言わぬ貝になりたい。

・何も考えずに生きた結果、水を飲む人の模倣をしている。ちょっとした授業なんかに出席すると、半数くらいの人は机に飲み物を置いており、そのうち三割くらいはミネラルウォーターを携えている。私は何か飲み物を買うときに「ミネラルウォーター」という選択肢自体がなかった。水を買って飲むという習慣がなかったのだが、周囲の人が当たり前であるかのように水を買って飲むので、模倣するようになった。そして机上にいろはすを置きながら「水飲んでますよ」という顔をすることでなんとか社会に紛れている。

・私見にはなるのだが、水を買うくらいなら味のついた液体を買った方がお得なのではないかと思っていて、「蛇口ひねったら無料で飲めるのにわざわざ買うの?」というTwitterに投稿したらレスバが加速してしまいそうな疑問を持つ気持ちも、少し分かるのだ。いろはすであっても、阿部寛がCMしてたもも味を飲んだ方が良くないか!?と思っていた時期があって、なんとなく「水」を単体で飲むことを敬遠していた。

・最近、水を買って飲むようになって気づいたことがある。別に何にも考えてないということだ。無。植物に水をやるのと同じで、ただ水分を体内にぶち込んでいるのだ。飲水とは水やりである。水を飲むときは「水飲むかー」と思いながらペットボトルを口にくわえているし、それ以上でも以下でもない。水を飲んでいるひとは水を飲もうと思って水を飲んでいるのだという気づきを、水を飲みながら得た。

・異論あれば討論しましょう。水掛け論になっちゃうかもしれませんが(笑)


・上記のボケみたいに、あえて面白くない人間を演じるというお笑いを好んでやるのだが、はたから見るとただつまらない人間であると判定されているかもしれない。オモコロの永田さんも「普段は温厚な人が大声で怒号を浴びせる」というボケを多用した結果、そういうキャラとして定着してしまった。その人間の本性を知らないと成立しないボケはかえって危険(永田さんの例は怒号の文言自体がボケとして成立しているので該当しないかも)である。しかし、あえてつまらないことを言うというユーモアは低コストでウケてしまうので、この笑いに走りがちだ。自戒。ただつまらないことを言うだけでウケてしまうので、多用しないようにすべきだ。そもそも、このボケは「自分はつまらない人間ではないが」という隠れた前置きのもと成立するもので、ステルス冷笑が含まれている。仮に自分がオモシロ人間であっても、つまんなユーモアをぱっと思いついてしまうのであればそちら側なのではないか?という自己指摘もある。

・お笑いを見すぎて舌が肥えすぎているのかもしれない。その結果、高いハードルのもと冷笑してしまい、そんな驕った自分への自己嫌悪を募らせることになる。ただ笑っていたいだけなのに。



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