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お空へ旅立つ小さな命のおはなし

2020年2月8日。
私たち夫婦の元に来てくれた新しい命が旅立ちます。

稽留流産という診断が降りてから今まで時間があったのですが、今もまだ現実を受け止めきれず、向き合いきれずに、ただただ毎日を過ごしています。
ただ、目の前にうつる景色は灰色のようなモノクロのような、、、
といっても職場にいる時間、息子と過ごす時間は気が紛れ、その時間があるからこそ自分を保てています。
昨日の退勤後は急に現実に戻り、涙が止まらない時間もありました。

妊娠が分かったのはお正月明けてすぐでした。

元々私は無排卵で月経も2ヶ月に1回ペースでした。養護教諭なのに、私は仕事を理由にして病院にも行かずに月経不順を放置していました。でも体は正直で、ホルモンバランスが乱れているので、体調は頻繁に悪くなっていました。

パートナーとの結婚を決めるにあたり、入籍前から婦人科に通い、漢方を服用し、毎日基礎体温を計測。
しかし効果はでず、ルトラールを服用し、入籍と同時に生理5日目から排卵誘発剤を服用し、排卵頃に何度も婦人科へ通い、タイミング指導をしてもらっていました。

薬の効果も弱くなってきたので、一度排卵誘発剤をやめようと医師に言われていた矢先にお腹に来てくれたのが、もうすぐ4歳半になる息子でした。

実はフライングで妊娠検査薬をしてうすい陽性反応が出た後、インフルエンザにかかった年末。他にもいろんな出来事が妊娠中にありましたが、無事に生まれてきてくれました。
長期に渡る不妊治療で悩んでいるご夫婦もいらっしゃる中、排卵誘発剤を始めて4回で授かったことは、苦しかったけども本当に本当にありがたいことでした。

再び不妊治療開始。育児家事と仕事と治療。

あの妊娠から5年。
出産後、月経は定期的にきてるにも、基礎体温を測ると自力排卵できている月とできていない月がある。ということで夏から排卵誘発剤を開始。仕事と育児と家事と治療の両立は本当にしんどくて、生理がくるたびに心が折れていましたが、「もう妊娠しなくても仕方ないな。のんびりいこう」そう思えたのは引っ越しが落ち着いた後の12月。お正月明けてすぐ我が家に新しい命がやってきてくれました。
年末年始、引越し後とタイミングも息子と一緒で、私自身何か運命的なものを感じていました。

子どものチカラを親が信じなくてどうする

初めての受診で胎嚢は4mmでした。
元々、不妊治療で次回排卵日頃に受診予約(生理予定日から14日)していたので、つまり妊娠6週ぐらいに受診しました。
ここも前回の妊娠とほぼ一緒。
ただ、あきらかに前回と違ったのは胎嚢の大きさでした。
「うーん、、、小さいなぁ。本来の週数より遅いね。もしかしたら、排卵が遅かったかもしれないし、そうではなくてこのまま成長が止まってしまうかもしれないし、こればっかりはわからない。とりあえず2週間後来てくれる?」
そんな医師の言葉に不安になりました。

私がわが子のチカラを信じないで誰が信じるんだろう

と思い、私は弱気になりそうな自分を鼓舞していました。日にちが経つにつれ、つわりでしんどくて、家事や仕事が思うようにできない日もありました。
そんな私を家族や職場の同僚は支えてくれました。

あまりにつわりがひどく、本当に辛いので通勤緩和措置を申請しようと思い、予定より早く受診。
まだまだ小さいものの、前回より少しは大きくなっていて、卵黄嚢も確認できました。しかし、心拍は確認できませんでした。
「来週もう一回来て」と医師に言われ、「来週こそはきっと心拍が確認できる」と信じ、通勤緩和は心拍確認後に申請すると決めました。
その後もつわりでしんどい中、「お腹の子が無事でいてくれるなら」と仕事も育児も家事も、まだまだ小さいけどお腹にいる赤ちゃんを励みに乗り切っていました。
診察の前日には「気持ち悪いーーー」と言いながら家族で焼肉食べに行ったりと幸せな時間を過ごしていました。でも、やはり現実はそう甘くなかったです。


T(上の子)がいてくれてほんまによかった

前回から1週間後の診察。つわりもあるし、心拍確認できる!と信じて行ったのですが、そんな私の気持ちとは裏腹に医師から伝えられたのは真逆のことでした。
エコーが終わり、診察室に行くまで呆然、診察室に入ってからは、涙を我慢し、先生の話を聞くのに必死でした。
会計までの間も涙が出そうになるのを我慢し、夫にメッセンジャー(わが家は付き合った当初からFacebookメッセンジャーで連絡。LINEの返信は遅れがち)で連絡。
その後、保育園にお迎えに行くまでに、涙が溢れるのを必死で押さえようとしていました。
なんとか気持ちを立て直そうと過ごした土日。
夫が仕事で忙しく、息子と2人だったけど、本当に息子に救われた。夫の「T(息子の名前)がいてくれて本当によかった。」の言葉で、涙が止まらず、呼吸すらうまくできなかったことを今でも覚えています。
月曜日には手術する病院で、稽留流産(妊娠8週目)と診断がおり、土曜日の今日、手術をすることになりました。
その日は2月3日。まさかだけど、この日は春夏秋冬理論でいうところの最後の日。
秋2年目の最後に大どんでん返しでした。

このことをただの悲しい辛い体験にせず、自分が養護教諭として何ができるか、何を伝えていくかしっかり自分と向き合いたい

仕事をしている間は本当に気が紛れました。少しの間、ココロとカラダを休めることになったので職場にも報告しました。朝から暗くなる話を聞かせて申し訳ないと思いつつ、自分のことのようの受け取ってくださり気にかけてくださる管理職や「辛かったね、大変やったね」「なんて声かけたらいいかわからないけど、こっちのことは大丈夫だから、気にせずに。まってるからね」と同僚の先生方にあたたかい言葉をいただきました。ただでさえ育児中で融通が効かない立場の私にここまで優しくしてくれるなんて、本当に本当に恵まれた職場にいるなぁと感謝の気持ちでいっぱいでした。
そんな素敵な先生方やかわいい子どもたちのために、何より自分のためにもこの経験でつらいとか悲しいとかかわいそうな自分になるのではなく、この経験を価値を意味づけを自分なりにして、養護教諭として自分ができることをしっかり模索し、貢献したいという気持ちでいっぱいです。

ばいばい、またあおうね、まってるからね

「明日で赤ちゃんとおわかれだよ」と息子に伝えた昨日。赤ちゃんが来てから絵本を見たり、お話ししながらお腹の様子を伝えていました。
もちろん、今回は赤ちゃんは生まれてこれずにお別れすることになることも伝えました。

そして手術の日の朝。
息子がお腹をさわりながら「ばいばい、またあおうね、まってるからね」と言って保育園に行きました。

今日という日が来て欲しくなかったし、今目の前で起こっていることは嘘だと夢だと誰かに言って欲しい

ここまでつらつらと妊娠してから今日の日のことまで書きました。
まわりがぞくぞくと妊娠出産している中、なんで自分ばっかりと自分を責めたり、自分の運命を恨んだりもしました。初期の流産は誰のせいでもなく自然に起こるものであると頭でわかっていても、赤ちゃんに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
今日という日が来て欲しくなかったし、今目の前で起こっていることは嘘だと夢だと誰かに言って欲しいと今でも思っています。
もしかしたら術後はもっともっと強くそう思うかもしれません。
でも、自分には家族を始め同僚や友人、たくさん自分のことを大切にしてくれる人がいます。自分を待ってくれる人、必要としてくれる人がたくさんいることにも気づけました
だからこそ、どんなにマイナスになって涙に明け暮れても、また前を向いて歩いていきます。
それに、きっとまたあえると信じたいから。

今はただただ、一緒に過ごせる最後の時間をゆっくりと夫と赤ちゃんと3人で病室で過ごしています。

授かることも生まれてくることも今日の日まで生きられること、全てが奇跡の連続なのであり、私たちは奇跡の連続の体験者なのである。

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