バケモン

ひとことで言うと、物凄い映画でした。

構成作家の山根真吾が17年にわたり、笑福亭鶴瓶の『らくだ』を機に氏を追った映画。『らくだ』とは上方落語の最高峰とされる、シュールな逸品。

江戸時代の大坂。長屋住まいの「らくだ」を兄貴分たる熊が訪れる。
らくだは一見、寝ている体である。が、声をかけても全く起きない。
そういえば、昨夜河豚をぶら下げご機嫌さんで帰宅していたようである。さてはこやつ、河豚にあたって死によったな!

兄貴分なれば、葬式のひとつも出してやらねばならない。が、熊には金がない。
そこへ屑屋が通りかかる。熊は屑屋を呼び込んで「家財一切買うていけ」。
「家財いうて、らくださんとこはあきまへんがな。売れるもんは売ってはったし、ふすま障子いうたかて、骨のない蛸状態」

「こら屑屋。ほんなら長屋の当番にやな、葬式出してやりたい言うて香典集めさせてこい」
「それもあきまへんがな。こんな貧乏長屋、出せ言うたかて、鼻血も出まへん」
「さよか。なら・・・」

ここで熊はブチキレる。金を出す出さん言うんなら、はあ、お前ら日暮れ時までに女子どもと年寄りを、ここから離れさせとけよ。
「何でですのん?」
「この長屋に火ぃつけたるさかい」

滅茶苦茶である。
しかし、らくだも熊もヤクザ。当然である。

熊はさらに、屑屋にこう命じる。
「通夜言うたら酒と肴がいるやんか。家主のとこに行ってやな。いい酒と、煮しめをどんぶり二杯、もうてこい」
「そらあきまへんわ。ここの家主ほど渋ちんはおりまへんさかいに」

「出すの出さんの言いよったら、死人のかんかん踊り見せたるぞと、こう言うてこい」

生前のらくだは一切家賃を払わなかった。それをいいことに家主は、
「らくだはん、死によったか。こりゃまたありがたいありがたい。溜まった家賃を香典代わりに棒引きするし、酒や肴なんてあり得へん」
頑として拒否。

斯くして家主は、死人のかんかん踊りを見る羽目になる。

遺体を冒涜し、強制恫喝する『らくだ』は滅茶苦茶な作品。難解、噺家を選ぶとも言われる。
しかし鶴瓶の師匠、六代目松鶴のこれは十八番。

自分は『らくだ』をまず米朝さんで聞き、東京の噺家で聞いた。
米朝師匠のそれは上品。いっぽう六代目のは目が座り、あたかも西成で暴れるおっさんのようである。アヴァンギャルドでアナーキー。
この狂気が、鶴瓶に伝わった。

鶴瓶さんは単なるオモロいおっさんではない。狂気と博愛が、出たり入ったり。
若い頃にはアフロヘアーで、東京のテレビ局でちんちん出した。出入り禁止になった。
いっぽう安保法制に反対し、ファンへの神対応は周知のとおり。

山根氏は2004年に鶴瓶の『らくだ』を聞き、感動のあまりにことわりもなく、フィルムに撮った。
その夜鶴瓶に告白。が、鶴瓶は「ええよ。でもやるんなら、真剣にやれよ」。

斯くして17年。

奇しくも山根が撮った『らくだ』は、50を過ぎた鶴瓶が、初めて落語に向き合った時。若かりし時に鶴瓶は、師匠から稽古をつけてもらえなかった。
兄弟子が証言す。「落語の勉強なんかせんでええ。生き様を学べ」

『バケモン』は、らくだと師匠と鶴瓶が、交錯する映画である。こんな博愛と狂気、そして芸とは何か。コロナ禍における芸とは?

芸人は「末路哀れは覚悟の前やで」。米を一粒作らない、釘一本も作らない。そんな芸人とは何か。コロナ禍で、いったい何ができるのか。
これが映画の動機であり、結論でもある。

『らくだ』を作ったのは大正から昭和初期に活躍した四代目桂文吾。彼自身、酒で足首を切る羽目になり、そして死んだ。
映画では『らくだ』の源流を探る。文化2年、唐人に模したかんかん踊りが流行った。翌年長崎に、唐人が駱駝を連れてきた。
見せ物が一世を風靡した。

大坂はミナミで、かんかん踊りと図体ばかりデカくして、食っちゃ寝の駱駝がコラボした。『東海道四谷怪談』の鶴屋南北が、これに目をつけた。

しかし『らくだ』はどこまでも悲哀。鶴瓶さんは高座で語る。

「死ぬまで人に嫌われて、こんな悲しい人生ってありますか」

こんな己の生と死は、もう笑い飛ばすしかしょうがないではないか。それが落語『らくだ』である。

バケモンたるは鶴瓶さん、そしてらくだ。
物凄い映画である。

◆予告編

https://youtu.be/g22KnhJ7if0

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