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土曜の夜に、京都的



あ“〜、京都行きてえ。京都って定期的に行きたくなるよね。
先斗町の馴染みの店は、コロナで客が来ず大変とか。前売り券を発売し、何とか凌いでおるそうな。

あれはいつだったか。こんなに寒い(涼しい)雨の夜、ジャパンカップをしくじって、ついカッとなった。
京都のガールフレンドに電話して「今から紅葉見に行かない?」。直ちに阪急電車を乗り継ぎ上京。

蹴上で待ち合わせ、永観堂。彼女と二人、ぐるりを回る。気温は6度くらい。
◆倉田マリリンことウインマリリンで、冷たい雨。
https://youtu.be/8Kl2ZJAUOHs


池な、あの池。
藤沢あたりの友人に言わせると「京都はずるい」。何で?

「鎌倉は、割合自然のままである。が、京都は借景含めさりげなく手が入っており、小憎らしい」

これは朝廷と幕府・侍の違いでしょう。公家がチマチマ有職故実のいっぽう、武士はドーンと。
つらつら思うに、鎌倉関東の成れの果てである足利氏が室町文化を作ったのはいわば公家と侍文化の融合であり、さらにそれを完成したのが安土桃山時代の千利休ではなかったか。わびさび。

五山文化に世阿弥観阿弥の能。現在に至る日本文化の基は、概ね室町時代に確立されておる。
◆手塚さんの(俺的には)最高傑作、「どろろ」も、室町末期の話。
https://youtu.be/07cyiNcvMYY

で、長いことヤクザ研究に勤しむワタクシ。京都の侠客といえばまず会津小鉄が挙げられるが、これはせいぜい幕末の京都守護職、会津中将容保公に由来する。
新撰組と同様、松平容保公が小鉄ちゃんを推したわけ。江戸でいうなら慶喜公と仲良しだった新門辰五郎の位置づけな、さしずめ。

しかし遡ればヤクザの源流はもっと前。幡随院長兵衛より、もっと。
応仁の乱で世界初めて発生した、「足軽」こそそれではなかろうか。

応仁の乱は「仁義なき戦い」より複雑で一概には語れないが、ざっくり言うと細川の東軍と山名の西軍との覇権争い。それこそ室町文化の功労者・銀閣寺を造った将軍足利義政公はヤんなっちゃって逼塞。
この戦いにはとにかく兵隊が必要だったから、両軍いかがわしい連中を雇った。食いつめた百姓その他を。こいつらが都で乱暴狼藉の数々。強盗するは火をつけるは、婦女子と見れば強姦するわ。

要は「力」ですな。それも、大名の権威を背景にした暴力こそ、たちの悪いものはない。
あれから5、6百年。今のヤクザは権威を背景になど出来ないが、つい4、50年までそれはあったし、ヤクザに限らず公的になったのもある。そこは推察方プリーズ。

とまれ京都は田舎者に侵略され続けたの歴史。室町幕府は上手くやってたと思う ー そもそもその出自は京都発の頼朝さんだもんね ー が、戦国大名に徳川家、幕末の志士・・・
※排外主義はいけないが、ただしインバウンドについても、京都市民的にはある意味そうかも知らん。

しかし。
京都に行きたくさせる、あんたたち京都人が悪い(笑)
いや、俺はそげなこと言わんですばい。渚ゆうこ氏が、そう歌っておる。
◆京都慕情
https://youtu.be/NkSEp7-8wk4


ところでさ、朝廷はやっぱ東京じゃなく京都でしょう。立派な御所も健在なんだし。
そろそろ都に戻すべき。


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