精神的の美について

前回のお話(↓)

https://mixi.jp/home.pl#!/diary/988396/1979084016

では肉体的の美が生殖器や排泄を止すなら、精神的の美はいかなることになりましょうか(なりましょうか・笑)

1952年、フランスの医師アラン・ボンバールが海へ漕ぎ出した。食糧も真水も持たず。
彼は自身で実験をした。以下引用。

「世界一大きな水瓶のまっただ中にいながら渇きで死ぬことほど腹の立つ死に方はほとんどないだろう。海水を飲むと、脱水がかえって早まってしまう。余分な塩分を体外に排出するためには、飲んだ海水の量よりさらに多くの水を必要とすることになるからである」

ことほど左様に海水を飲むのはデインジャラスである。が、1日ひと口ならむしろ良いらしい。
氏は魚を釣りプランクトンを食べ、「魚の目玉は真水の塊」。それでモナコから大西洋を、43日間過ごした。

ー 世にも不思議な人体実験の歴史(トレヴァー・ノートン)文春文庫より

ボンバール先生はなぜ、こんな実験をしたのか。海軍の要請があったのもあるが、往古より人間は“世界一大きな水瓶で渇いて死ぬる〝、その命題を超克しようとしたもの。
医者だから、毎日己が体を計測した。体温脈拍、馬体重。結果体重は25kg減ったそうな。

要は「世のため人のため」。が、ここでポイントとなるのはむしろ観察だろう。

デマウヨクズウヨ陰謀論と科学との違いは何より実験検証にある。実験検証に基づくデータがないものは、いかに腑に落ちようとも陰謀論と断じて差し支えない。
竹内久美子のエセ遺伝子論、リフレ派検査スンナ派の医者たち。先の米大統領選では「バイデン陣営は不正!」「トランプは神!」・・・連中に実証精神などないわけだが。
例えばこんな事象に対し、アジすか!的な疑問を持ち、(ネットじゃなくて)公的なメディアでそれを検証してみる。政治的・社会科学的には、これが〝実験〝。
※キリスト教でも同じこと。現実に起きていることを無視してアーメン言うたところで問題は一向に解決しない。ことクリスチャンは実存的(実存主義とは違います)でなければならず、なぜと言うに、
1、この世の全てが神の与えたもうた、それこそ「事象」であるから。無視してはならない。
2、その与えられた事象を観察分析し、解決策を探るべく我々は、神によって「知能」といふものを与えられているから。

ある日あるとき桜の[m:88]が咲く。これはいったいどういうことであろうか。その疑問と観察から桜の花の性質や気温・環境との関係が分かり、科学が生まれる。
桜もむろん神の恩寵であるが、ここで初めて「主よ、アーメン」言うべきであって、ハーベストタイムの中川牧師みたく
「バイデンが進めるグリーン・ディール政策は、新たな共産主義だ!」
などと陰謀論を唱えるのは、むしろ反キリスト・反聖書的なのである。

科学が全てじゃないというのは当たり前田のクラッカー。こと宗教者にとってはそうだ。
が、だからといって科学 ー その基は観察と実験、基本を成すのは数学である ー を否定し、斯界に引き篭もるばかりかデマを喧伝するのは、宗教云々以前に人としてあり得ない。

本題に戻します。

いかなコロナ禍とは言い条、皆々様には「観察」をオススメする。これはいったい何であるか、そもそも新型コロナウイルスとは何か。ん、変異株?
日本を含む各国政府は、それぞれどのように対処しているのか。今後の見通しは?

ボンバール先生もエドガー・アラン・ポーも、まず観察をした。今すぐ直ちにあり得ねー状態でも、焦らず騒がず落ち着いて。
前者はくだんの如し。後者は、はあ、例えば『メルシュトロームの渦巻』をご一読方。大渦巻に巻き込まれた主人公が、船内の何が先にアレするかという〝重力の観察〝な。

それがよしんば人のためであるとするなら、これほど精神の美につながることはないだろう。

※音楽は引き続きツェッペリンで、
◆All of My Love 

https://youtu.be/6R9lCYRWoz8

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?