見出し画像

2020.4.14までの日記

テレビをつければコロナの患者数の状況や、関連する政治や経済のニュースがずっと流れている。8日からは緊急事態宣言も出て、コロナモードがさらに深まったこの頃だ。

こうした中リモートワークに慣れてきた私の1日は、こんな様子だ。朝ギリギリまで寝て、パジャマのままPCを立ち上げて業務開始を告げる。調子が良い日は少し早くベッドから出て、朝ごはんにパンを食べる。ダメな日はメールをチェックしながらパンを食べる。部屋着に着替え、テレビ会議のある日は一応眉毛だけ描く。天気の良い日は午前中に洗濯機を回す。通勤していた時には土日にまとめて始末していた洗濯だが、今は好きなタイミングでできる。終わった合図が聞こえれば、仕事を中断してベランダに洗濯物を干す。昼には簡単に自炊をして、ご飯を食べる。夜には買い込んでおいた入浴剤から気分に合うものを選んで、ゆっくり湯船に浸かる。

煮詰まった日の夕方、近所を散歩したりもした。引っ越してきて3年が経とうとしているのに、家の周りをあてもなく歩いたことはこれまで一度もなかった。ものすごく近所に文具屋があることを初めて知る。さらにふらふら歩いていたら、神社を見つけた。家から5分程度の場所にあるとは。いつも自宅から駅までの道をひたすら往復していただけで、周りのことを何も知らなかった。おみくじを引いたら大吉が出たので、大事に受けて帰る。いつもと違う方角から歩いて帰ってきて、この道から自分の住んでいるマンションを、自分の部屋を、ちゃんと眺めたことがなかったと気がつく。随分せかせかと生きてきたものだ。

ついこの間までの、朝は慌てて駅まで向かい帰りは大抵22時を回ってから、という生活をあまり辛いと思ったことはない。仕事ばかりというわけでもなく、気になるイベントへ出かけたり、ジムに行ったり、飲みに行ったり、好きなことをやってきたから。これが毎日リモートワークで外に出れないとは暇かなと思っていたけれど、意外なほどに仕事と生活だけで24時間はみっちり埋まる。お酒を飲んでもいないのに時々倒れこむように寝ていた日々は、自分が思っていた以上に疲れていて、余裕がなかったのかもしれない。

リモートワークになり時間もできるし、平日は毎日日記を記そうと思っていたが、あっさり失敗した。意外と生活で時間が過ぎていくというのは理由のひとつではあるが、気持ちのバランスを崩していたことが大きい。

コロナモードが深まる前、私はこれからのキャリアを中心とした自分の未来について、じっくりかつアクティブに考えたいなと思っていた。文章を書きながら自分のこれまでを振り返り、そしていろんな人に会って話を聞き、これからしたいことを描こう。できたらオリンピックまで。そんな時間の過ごし方をしようと決めていた。でも、随分昔のことのようだけどオリンピックも延期され、状況が変わりフランクに人に会いに行くことが難しくなった。それだけでなく、自分の内面について文章にして整理することに、ためらいが生まれた。先が見通せない中で、自分の恋愛や家族のことや、才能ややりたいこと……要するに自分の欲する未来について考えることが、心にしっくり来ない。

日々起きたことや波紋となって表れた心の動きをこうやって記すことはできるけど、ぱっと見ではわからないところへ深く潜っていくことや想像力を働かすことが難しい。これを考えることにどれだけ意味がある?と塞きとめ押し返す力の方が、今は強い。

こうなったのは、自分が社会の動きに影響されてなんだかんだ繊細だから。そう思おうとしていたけれど、実際のところは多分違う。

そもそもキャリアについて考えよう、などと思い始めたのは、おそらく退屈していたからだ。ワクワク面白く時間を過ごすには「未知」で「新しい」という要素がいる。仕事そのものや職場の人たちに慣れて、かつ自分で新しい要素を生み出そうとしなかった私は、仕事に飽きていた。昇給とか、社内で賞を取るとか、ちょっと目新しい仕事を任されるとか、副業とか、自分でできそうなドーピングっぽいことに手は染めてきたけれど、同じ場所にいながらも、さらに強い薬に値するような難易度の高い仕事や、さらなる昇給となると、こちらが賭けなければいけないものも大きくなるし、そんなに賭けたいほどやりたいわけでもない。じゃあ、キャリアチェンジっていう気分転換はアリだよな、と思い始めたのだと思う。

ところが盛り上がっていたキャリアチェンジ欲は、この2週間くらいで薄れていっている。市場の動向が不安だということは無視できない大きな理由だけど、それ以上にこのコロナによる世の中の動きそのものがエンタメの要素を孕んでいて、私はちょっと退屈が凌げているのかもしれない。

キャリアについて考えて行動するなんて、本当のところは面倒くさい。他人に評価される場に自分を進んで差し出すのも決して好きじゃない。でも、それ以上に退屈が嫌だったから、没頭できる新しい何かを手に入れるためなら、仕方ない、やってやろう、と思っていたんだきっと。

こうやって文字にしてみると自分の底の浅さが本当に悲しいのだが、こんな自分を見捨てるわけにもいかない。どうにかこうにか楽しそうな明日、来月、来年に自分を連れて行ってあげなければいけない。何もかもが中途半端な状況を、どう整理しようかは、まだ何も決められていないけれど。



読んでいただきありがとうございます。 サポートいただけたら、書籍代などさらに素敵な文章を生み出すための勉強代に充てさせていただきます!