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<第31回>種から育てる魅力について

今回で31回となり、累計1ヶ月分毎日投稿してきたということになりました。
今回はこの記事を書くことについてちょっとだけお話をしようと思います。

今回の配信もRadiotalkで配信をしています。


実はこの投稿、毎朝4時から早い時には3時に起きてやっています。原稿を書くのが40分〜60分、放送が5分というところでしょうか。

5時になったら植物の観察をして子供の準備を手伝って、勤め人としての仕事が始まる。
僕にとって今の生活は理想です。

まぁ、理想を言えば多様な植物を種から育てる側になって様々試行錯誤しながら皆様に僕が作ったものをお届けしたい気持ちではありますが、その理想にはまだまだ遠いようです。

さて、このラジオの題でもある、種から始めるという題名について自分の整理も合わせて、皆様にもお伝えしたいと思います。

僕個人としては、本物の育てるという感覚は我が子しか感じない感覚です。
どういうことかというと、他の生産者さんから買ってきた植物たちを迎え入れる時、どこか勉強をする気持ちになるのです。言葉で言うと預かると言うイメージでしょうか。もう、その植物たちの方向性は決まっていて、なるだけそのアシストをすると言う感覚を持っています。

ですが、種から芽ぶかせ一丁前の姿にするときは、僕が方向性を全て決めます。だからこそ、育てると言う感覚を持つのです。子育てと一緒で、同時に学ぶこともあるのですが、育てると言う感覚はこう言うことなのではないかと思います。

だからこそ、皆さんにはどなたかが買ってきたものではなくて自分で種から育てて欲しいと願っています。そうすることで、植物への愛情がますのではないかと思っていますし、植物の楽しさを十二分に味わうことができるのではないでしょうか。

このような話をしようと思ったのは、節目であることとTOKYさんのブログを見て感じることが多かったからです。今回はShabomaniacさんとの対談記事だったのですが、これをを見て何か発したいなと思いました。まだご覧になっていない方はぜひご覧ください。http://toky.jp/blog

近い将来、TOKYでパンジー・ビオラ用の鉢を買いたいなと思います。だって、パンジー・ビオラは地面にたくさん植えるだけでは魅力が伝わりませんから。
僕が育てた種の花を特別な鉢に入れたいと願います。

日本人の美的感覚は古来より伝えられたものがあります。例えば侘び寂びの文化は他の国には無い美的感覚です。海外や他人から植え付けられた美的感覚ではなく、自分自身にあるイメージで種を育てていけたらいいのではないかと思っています。

今日は以上でございます。
31回と言うことで抽象的なお話をしていきました。
たまに聞いてくださる方がいらっしゃって、いいねを押してくれます。これ、すっごく嬉しいんですね。やっぱり配信をしている以上、何らかのお役に立ちたいと思っているのでこれからもマメに配信をしていきたいと思います。

それでは今日も良い1日を。

このnoteが皆様のお役に立てれば幸いです。

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