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仕事のストレスで死ぬな。

ストレスとは

 ストレスとは、物理学や材料工学の用語で、「応力」のことを言う。
 一見何も起こっていないように見えるが、その実、外部から加わった力によって物体内部に力がかかり続けている、その目に見えない力のことをストレスという。建物の柱や梁を思えば良い。

 応力は、物体の断面を切り出し、断面の両側でどういう力がかかっているかを計算する。開いてみないと分からない訳だ。

 応力が限界を超えて変形・破断して初めて目に見える状態となる。これを材料工学で降伏という。柱の座屈(折れたり沈み込んだりする状態)を思えば良い。

 日本語化している「ストレス」は、生体学から心理学や精神医学で用いられている。物体と生体の違いはあれ、状況は同じだ。
 ストレスが限界を超えて精神が変調・崩壊して初めて目に見える状態となる。

 ストレスが、正常な生体反応であることは周知の事実であろう。荒野で虎のような猛獣に出くわした時、危険を察知した生体は緊張が高まり、発汗し、生存に集中するために視野狭窄が起こる。危険を感じてもストレス反応をしない個体は生存確率が極めて低い。

 生存への対処法は二つ。

  • その場所で虎を無力化する

  • 安全な場所まで逃走する

いずれかに成功すれば、ストレスは解放され、常態に戻る。

職場のストレスへの対処

 職場のストレスで心身を病む例が多い。ここでいう職場とは、典型的には会社員や公務員といったサラリーマンの職場を思えば良い。
 筆者も同様の経験をしている。

 先述した通り、ストレスは生存に必要な反応であり、その対処法は無力化・逃走の2つしかない。では、職場に虎がいた時にはどうすれば良いのか。

無力化

 無力化。これは、虎の爪や牙を抜く(武装解除)か、威嚇して襲われないようにするか、排除するしかない。

  • 武装解除:実際には虎の行動様式の変容を強制することであり、不可能。

  • 威嚇:弱みを握って脅す、虎の更に上司に直訴して強権を発動して貰う、などが考えられるが、実現性に乏しい。

  • 排除:人事異動、退職に伴なう自然排除は制御不可能。人事権を持つ部署への密告、誹謗中傷、泣き落としによる直近の排除の企図は返り討ちの危険が伴う。更に過激な触法行為も存在するが、ここでは触れない。

 無力化が難しい場合は、逃走という選択肢しか残されていない。

逃走

 逃走。組織内での逃走と組織外への逃走がある。

  • 組織内での逃走:虎のいる部署や支店からの異動が考えられるが、これも意のままにはならず泣き落とし(申請)しかない。組織の論理は残念ながら、異動について全ての要求に応える事はできない(組織が回らなくなる)。

  • 組織外への逃走:退職。最後に残された生存方法である。最大の障害は経済的な面である。次いで社会規範であろう。

  • 実はもう一つ逃走方法があるが、生存と矛盾するので記述は差し控える。

 このように、残念ながら生存への選択肢は、組織外への逃走即ち退職以外は実現性に乏しいのが現実である。

退職を阻むもの

 退職を阻むものは、個別の事情を除き、以下の二つである。

  • 経済面

  • 社会規範

経済面

 収入が途絶える恐怖に耐えられるかどうかが退職の実行可能性を左右する。
 ここで「恐怖に耐えられるか」と言う主観的な心理面のみに言及するのには理由がある。
 客観的な要素、例えば所有財産、実家の援助、年齢、能力、社会状況などは、確かに重要な要素ではあるが、決定的なものではない。
 戦後間も無く、収入も途絶え財産も失った焼け跡から生き延びてきた先人の存在がその証拠である。人間は、どんな状況でも何とかして生き延びようとするものだ。

 生活水準を落とすという選択肢も心理的負担になるようだ。
 普通車を軽自動車に、広いマンションから狭いアパートに、外食を減らして自炊に、といった生存には何の支障もない選択肢に対しても大きな抵抗を感じる。恐らく、築いてきた自己像とのズレが耐えられないのだろう。自分の存在価値、余り使いたくない言葉だがアイデンティティに抵触するのだから。

社会的規範

 社会規範とは、平たく言うと「世間体」である。
 これも、上の生活水準を落とすことと同様、自分の存在価値に抵触するのだろう。
 完全に時代遅れだが未だに根強く残る「会社は勤め上げるもの」と言う価値観、「一流会社の社員」と言う誇り、「途中で投げ出した人」と思われる恐怖、これらも一種の社会規範である。

 しかし、社会規範とは何物で、どう言う作用があるのかを確認してみると、気にしなくても良いことがすぐに分かる。

 社会規範は、集団の中での標準的な行動様式等を規定する不文律であり、不文律だからこそ妙な強制力を発揮しているとも言える。
 法律・規則・規範のような決まり事に共通して言えることは、組織の構成員の行動予見性である。通常、構成員がどのような行動をとるか、どういう場合に罰せられ排除されるかが決まっていないと、構成員は毎回様々な判断を迫られ、安心して行動ができない。

 一方、決まり事は、組織を運営する立場からは、構成員の行動を制御する道具として機能する。これが暴走するのが官僚主義だ。往々にして、社会規範は運営者に有利な方向に誘導される。転職を繰り返されると会社の運営が面倒だ、みたいなことだ。

 要するに、社会規範は組織の構成員、運営者の相互依存関係の中で成立している約束事に過ぎない。

 そんなたかが約束事と貴方自身の生存とを天秤にかけたら、どちらが重要かは言うまでもない。

視野狭窄

 上記のような判断を、ストレスの渦中にいる人に求めるのは酷であることは重々承知している。
 その最大の要因は、視野狭窄だ。

 ストレスを受け続けると、先述のように視野狭窄が起こる。要するに、そのことばかり考え、四六時中脳内を占めることとなる。ある意味当然だ。身の危険を感じているのだから。

 ここで悪循環が生じる。視野狭窄が虎を更に恐怖の対象として大きく見せることになり、更に脳内を占めるようになるからだ。
 それを無理やり意識下に閉じ込めようとすると、容易に心の容量が限界に達し、座屈が起きる。私の場合は、足が動かなくなった。

 視野狭窄で判断力を失い、最悪の選択をする前に、できることはないだろうか。そう思い、この文章を書いている。
 対症療法は世間に出回っているので不要、根本治療のみに言及したつもりだ。

仕事のストレスで死ぬな。

 仕事のストレスで死ぬ人がいる。世界平和、男女平等、貧困撲滅、環境問題、色々な社会正義を叫ぶ人がいるが、この不幸な状況の払拭以上に重要な社会正義はない。なぜなら、それもこれも生存あってのことだからだ。

 現代社会に適応できない弱い個体は淘汰されて当然、と考える向きもあるだろう。信念は自由だ。干渉する気はない。好きなだけ上から目線で優越感を楽しんでおけば良い。

 一方、日々ストレスを感じている諸兄へ。厳しいようだが、この状況を社会などの外部環境のせいにして嘆いても始まらない。社会規範や経済的な価値観は、相互依存の中で我々が作り出しているものだ。つまり、貴方自身がその片棒を担いでいるのだ。

 ストレスという言葉と同様、日本語化した外来語がある。

 プライド。

 直訳すると「誇り」であるが、日本語的には、「プライドが高い人」には否定的な含みがあるが「誇り高き人」にはそういう含みは感じられない。つまり、「プライド」はどちらかと言うと「実体にそぐわない不要な誇り高さを持つ心的状態」と言う意味に使われている。あくまで個人の感想だが。

 諸兄へ。
 たかが仕事のストレスで死ぬな。
 プライドを捨て、誇りを取り戻そう。
 それで、道は開ける。

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