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否定から入る人。

 まず相手の意見を否定する人がいる。
 こちらの記事で書いた人物は、優位に立つことを意図しているうちにそれが習慣になったという。

 通常、他人を否定することには勇気を要する。上司や尊敬する相手なら尚更だ。否定から入る人は、否定しても問題のない相手を選んで発言している。要するに、下に見ているのだ。
 謙虚に人の話を聴くという態度とは真逆であり、彼らは大凡、発言内容ではなく発言者の属性で意見の信憑性を判断する。権威主義だ。

 私の父はその典型であった。

 後で知った事だが、父は優等生で周囲の評価も高く、将来を嘱望されていたと死後親戚から聞いた。

 医学部を受験したが失敗し、戦後の混乱の中食べる為に自衛官の道を選び、勤め上げた。

 兄には厳しく、勉強が出来ないと叱られ殴られていた。弟の私は要領良く立ち回り、兄の誦じていた九九を横で覚えたりして「勉強が出来る子」として甘やかされた。

 父は、兄の言う事は必ずまず否定した。人格ごと下に見ていた。兄が勇気を出して就職のため専門学校へ行きたいと言ってもお前みたいなのには無理だと聴く耳を持たなかった。

 兄には、自分の言い分が必ず否定されたことが、還暦を迎えた今も昨日のことのように恨みの感情を伴って思い出されるとのことだ。

 否定から入る他の典型例は、配偶者によるものだ。
 これは男女問わず複数人から話を聞いた。

 夫が言うことはまず疑って否定する。しかし全く同じことを他人から聞いた場合は疑わず受け入れると言った具合だ。
 何故発言者によって内容の真偽を判断するのか、増してや身内である自分より他人を信じるのか、といった思いを抱く。
 そういう人は得てして外面は良い。

 これは言われる方の属性は余り関係ないらしい。高収入・高学歴・高身長、容姿も人格も申し分ない穏やかな男性から全く同じ思いを聞いた事があるからだ。

 何故そういう行動を取るのか、周りに尋ねた。
 無自覚・無意識、つまり何故そうするのか自分でもわからないという人もいたが、ある女性は「そりゃ家庭と家事を握っているからですよ」と事もなげに答えてくれた。恐らく逆の場合は「そりゃ稼いでいるのは僕ですから」になるのであろう。

 一方の配偶者がもう一方を支配下に置いていて何を言っても大丈夫という安心感から、無意識にもう一方を感情の吐け口とする、という構造なのだろう。

 人間は、否定されることが続くと、長い間にジャブの様に効いてくる。どうせ否定されるのなら会話しない方がマシ、となって口数が減り、それがもう一方の不満となって悪循環に陥る。否定が無自覚なら尚更だ。

 無自覚の否定。確信犯的な否定。
 それは時限爆弾の様に確実に精神を蝕む。

 自覚を期待するのは難しい。
 増してや行動変容など無理筋だ。

 確実に言えるのは、彼らを相手にして消耗しているほど人生は長くはないということだ。

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