見出し画像

マイちゃんと僕 | 松田さん

マイちゃんは僕にとって、かなり特別なラッコだった。
きりりとした美しさと、ラッコ特有のやさしさを併せ持つその独特の雰囲気に惚れ込んでしまったのだ。
初めてマイちゃんに会ったのは2001年の夏。今は無き「よみうりランドラッコ館」でのことだ。強い日差しから逃れるようにラッコ館に入ると、そこは涼しげな青い世界が広がっていた。壁一面のアクリルガラスの向こう側には海水が満たされ、4頭のラッコたちは水槽の上をぷかぷかと浮かんでいた。
マイ、メイ、ソラ、リク。そう名付けられたラッコの中で、ふわふわの産毛に包まれた赤ちゃんラッコのリクを大事そうに抱えていたのがマイちゃんだった。
マイちゃんはアラスカからやって来た野生ラッコで、人間とは距離を保ち、警戒心を絶やさず威厳を持っていた。グルーミングが上手でつやつやの毛並みを保っていた。彼女は5頭の子供を産み育てた母親ラッコでもあり、子ラッコをお腹の上に載せながらグルーミングしてあげる優しげな姿と、ちょっかいを出そうとする他のラッコを撃退する姿とのギャップは強烈だった。
食べ物の好き嫌いが激しく白身のタラが大好きで赤身魚はあまり食べようとしなかった。同じアラスカ育ちのメイにねだられると、自分の嫌いな赤身魚を与えつつ、あまりにものしつこさに前脚右フックを決める姿に、何度苦笑したかわからない。ようするに、見かけ以上にワガママでお嬢な性格だったのだ。でも、そんなマイちゃんが大好きだった。

2002年、以前から噂されていたラッコ館の閉館が決まった。
閉館日が決まっても、4頭いたラッコたちの受け入れ先はなかなか決まらなかった。アラスカと同じような水温と室温を再現しなければならず、抜け毛や食べ残し、排泄物等ですぐに汚れてしまう海水をろ過する浄化装置の維持費、高価な餌代をはじめ、膨大な飼育費用がかかるラッコを受け入れられる水族館は減っていたのだ。
世の中は1990年代のバブル崩壊の傷も癒えぬまま、2000年初頭ITバブル崩壊で更に追い打ちをかけられていた。企業は事業の縮小を模索し、その延命を図ろうとしていた。よみうりランドのラッコ館の閉館も、その余波を受けてのことかもしれない。
同じころ、僕は6年間勤めていた会社を辞めようとしていた。自分の勤めていた不動産住宅関連の部署がなくなることが決まったからだ。
転職活動中、何度もラッコ館に出かけた。開館と同時にラッコ館へ向かうと、さびれたラッコ館のギャラリーはたいてい僕だけで、アクリルガラスの向こう側でじゃれ合うラッコたちの姿をただ眺めいていた。
「さて、これから何をしたらよいのだろう。」
僕はまだ決まらぬラッコたちの行く末に、自分の将来を重ねていたのかもしれない。
そんな不安もつかのま、思いのほか僕の転職活動は順調に進み、再就職も決まった。ラッコたちの行先も各地の水族館へ決まり、「よみうりランドラッコ館」は静かに幕を下ろした。マイちゃんは伊豆の下田海中水族館に引っ越し、僕は新しい仕事に忙殺され彼女に会いに行くことを忘れた。

2002年10月某日。水曜日。晴れ。
僕はふとマイちゃんに会いたくなった。新しい仕事にも慣れてきて、よく晴れた休日に彼女に会って癒されたかったのだ。平日の空いた特急電車に一人で乗りこみ、自宅から3時間ほどの伊豆下田に向かった。
すでに給餌時間は終わっていて、ラッコ水槽の前にはギャラリーは誰もいなかった。二つに仕切られた大きな水槽には2頭のラッコと、長いモップで水槽の底を掃除している飼育係さんがいた。だがマイちゃんがいるはずの水槽はからっぽだった。ふと、水槽脇のラッコ紹介ボードを見ると彼女の名前が見あたらない。不安になって飼育係さんに声をかけた。
「マイは一昨日の夜、亡くなりました。」マイの担当者でもあり、彼女の手術に最後まで立ち会った彼は、移送されてから亡くなるまでのことを淡々と語ってくれた。
3月によみうりランドから引っ越したマイは、アラスカから一緒だったメイとも、赤ちゃんラッコのリクとも引き離され、移送のショックもあってか食欲もなくやせ細っていた。それでも4月頃には新しい環境にも慣れ、食欲も戻り、他のラッコたちと共同生活を送るようになった。オスラッコのチャオとの交尾が確認され、一ヶ月ほど前から妊娠の兆候が見られたという。だが、今までの妊娠では気が付いたらひょっこり生まれていたという感じだったが、今回はいつまでたっても生まれずに、10月の初め頃からすっかり餌を受け付けなくなっていた。このままだと、母子共に危険だと判断した飼育スタッフは、最後の手段として手術を行うことにした。
数時間に及ぶ手術の結果、お腹の中の赤ちゃんはすでに亡くなっており、マイ自身もかなりのダメージを受けていた。そして、手術のかいもなく彼女は息を引き取った。彼は「マイは最後まで生きようとしていました」 と言った。

相手は生き物で、特に飼育が難しいと言われているラッコだ。その生き死には当たり前のことかもしれない。だが、生まれたラッコはニュースになるが、死んだラッコは誰にも語られず忘れ去られる。こうして文章に書いているのは、それが嫌だったのかもしれない。でも、なぜ、僕は水族館のラッコ「マイちゃん」にここまでひかれたのだろう。
おそらく、マイちゃんは僕のことなど認識さえしていなかった。他のラッコと違って、水槽越しにハンカチを振ってもマイちゃんは反応すらしない。水槽の中の世界しか興味がないといわんばかりに媚びることもせず、つんとすましていた。
ラッコ館の最終日、それまで水槽を傷つけるために与えなかった貝殻付きの餌を与えると、他の水族館生まれのラッコのようにプールの淵で割らず、お腹の上で貝だけで割って食べたという。マイは野生を忘れていなかったのだ。
そんな彼女の、捕獲され閉じ込められた水族館の中でさえ、本来の自分を忘れず凛と生きる姿に僕は強くひかれたのではないだろうか。
水族館という人工的な世界の中でも野生を忘れなかったラッコと、複雑で絡み合った人間関係に飲み込まれ思うように動けなくなった僕との、アクリルガラス越しの静かな時間。
多くの人はモニター越しのドラマの主人公や、推しのアイドルにひかれるのかもしれないが、僕にとってのそれは、水族館のラッコのマイちゃんだった。
この出会いは、僕の人生のなかでも、ものすごく貴重な、奇跡のような時間だったのだと今は思う。

しばらくして、僕は各地に引っ越した他のラッコたちに会いに出かけた。
散り散りになったラッコたちだったが、新しい環境で元気に適応していた。マイちゃんによく餌をねだっていたメイちゃんは、古株のラッコと張り合いながら餌の争奪戦を繰り広げていたし、ソラは同居のオスラッコにおかまを掘られることを心配しながらも、元気に生き抜いていた。一番小さかったリクといえば、自分の可愛さをアピールすることを覚えて、水槽越しのギャラリー相手に媚を売っていた。
彼らが戯れている姿を見ていると、ふと、マイちゃんの面影を見ることがあった。
「マイは元気だよ!」僕にはそう聞こえるような気がした。

(了)

※画像はよみうり時代のマイちゃん。物憂げなまなざしが印象的。
※このエッセイは、PLANETS Schoolで2020年5月に開催した「エッセイ添削講座」への応募作品です。

PLANETS Schoolとは、評論家・PLANETS編集長の宇野常寛がこれまで身につけてきた〈発信する〉ことについてのノウハウを共有する講座です。現在、7/9に開催する「レビュー添削講座」への応募作品の募集を6/26(金)まで行っています。ぜひ、チャレンジしてみてください!
※ご応募はPLANETS CLUB会員に限らせていただきます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?