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散歩のススメ(緊急事態宣言下における) | サジ・ヤスカズ

 外出自粛期間真っ只中の5月3日、午前6時40分。GW中の朝早くとはいえ、普段よりも明らかに車の少ない県道74号を「水源地入り口」の信号で横切ると、一段高いところにもう1本、県道74号の旧道が通っている。その旧道を少し進み、切り通しの擁壁 に付けられた導入路へ。すると、送電線の鉄塔に向かう踏み跡が現れた。 道なき道に入る時は、いつも期待と迷いを抱えながら一歩目を踏み出す。伸び始めた夏草を踏み倒し、鉄塔の脇まで進んだところで、踏み跡は畑の脇の小道に変わっていった。左手には市内の 私立高校野球部の専用グラウンドが見えるが、部活停止中のようで、人の気配は全くない。小道は、幅は狭いが藪に 覆われているわけでもなく、その先の鬱蒼とした雑木林へと続いている。 僕は、畑仕事の人に出会わないことを祈りつつ、土の小道を登っていく。早朝の散歩とはいえ、おじさんがわざわざこんなところを歩いているのは、怪しい者でしかない。だから、気持ちのいい土の小道を堪能しつつも、素早い移動を心がける。この辺りは田舎らしい風景が広がっているが、少しずつ田んぼや畑が5、6棟の戸建住宅 に変化していくので、土の小道は絶滅危惧種だ。だから、散歩の途中でこんな土の小道を発見すると素直に嬉しくて、見慣れた風景であっても特別なものに感じる。
 しばらく進んだところで、素敵な小道は簡易舗装の農道に合流した。僕は約20分間の探索活動を終え、いつもの早朝散歩に戻ることにした。

 緊急事態宣言にともなう外出自粛期間中、家の中での過ごしかたが大きな話題になっていた。色々な過ごし方がメディアで紹介されたが、2ヶ月も経つと、ネタが尽きたという話も聞くようになった。 僕自身、コロナ以前の休日には、「そろそろ靴下を買い換えた方がいいかな」とか「新しいiphoneでも触りに行こうかな」とか、まさに不要不急の用事を見繕ってショッピングモールによく出かけていたが、自粛期間中は、1時間ほどかけて長めの散歩に出かけるようになった。 僕が住んでいる小田原の縁辺部は、周辺に河川の土手道や田畑の中の小道も多く、それなりに人との接触に気を使わずに散歩に出かけることができる。
 とはいえ、僕も前々からの散歩大好き人間だったわけではない。近所の低山ハイキングに行くのも気がひけるし、なんとなく散歩しかしちゃいけない雰囲気だし、という感じで、歩き始めたのだ。

 日常的な散歩というと、一般的には、小さい子どもや高齢者に好まれる、非活動的なイメージがあるかもし れない。 もちろん、様々な消費行動で先頭に立っている10代後半から30代くらいの若い女性の中にも、「散歩好き」な人は大勢いると思うが、この場合は、国内での小旅行を構成する要素としてのそれであって、どちらかというと非日常的な散歩だろう。雑誌やネットの情報を基に、その土地土地の知られざる美味しいものや気の利いた店を巡りながらインスタグラムでアピールする、アクティブで充実した時間を過ごすための、いわばハイスペックな散歩だ。 緊急事態宣言下では、非日常的な体験ができる要素がことごとく閉じられてしまい、こんな散歩は成り立たなくなってしまった。この状況で許されるのは、心の健全と運動不足解消のために国から推奨されている、なんとなく受動的でつまらないロースペックな散歩だけだ。

 しかし、ロースペックな散歩は、本当に受動的でつまらないのだろうか?
 小さな子どもたち、特に保育園に通う子どもたちは、コロナ発生以前から日常的に散歩に出かけていて、 その楽しさを知り尽くすプロフェッショナルだ。 保育園では厚生労働省が定めた「保育所保育指針」に沿って保育が提供されている。その指針によれば、子どもたちは「身近な環境に親しみ、触れ合う中で、様々なものに興味や関心を持ち、その関わりの中で、発 見を楽しんだり、考えたりしようとする」ことをねらいとして、「安全で活動しやすい環境での探索活動等を通して、見る、聞く、触れる、嗅ぐ、味わうなどの感覚の働きを豊かにする」活動をすることになっている。
 この「安全で活動しやすい環境での探索活動」の代表が、散歩だ。 保育園での散歩は、保育士が園の周囲にどんな環境があるかを把握し、安全面を考えた上で、教育上のねらいを持ってコースが設定される。例えば、車どおりや歩道の有無、途中で立ち寄れる公園、道端の草花の様子など、様々な要素を踏まえ、その中で子どもたちが、何を見つけるか、何に興味を 持つかを想定しながら、散歩に出かける。 ただ、保育士が一定の枠組みやねらいの設定はするものの、散歩中は、子どもの自由意志が最大限に尊重され、子ども達は、名前のわからない草花から虫、落ちているゴミや謎の物体など、いく先々で出会う様々な事物にいちいち興味を持ち発見し、彼らなりに考察を重ねていく。 保育士のねらい通りに関心を示すこともあるだろうが、想定していなかった角度から新たな発見をし、保育士が驚かされることも多いと言う。子どもたちにとっての散歩は、自由で勝手気ままな探索活動そのものであり、保育園における楽しみの中心、そして子どもたちの成長において大きな役割を果たしている。

 一方、大人は散歩に行くにも目的を設定し、それを達成することが一義になりがちだ。小旅行的な散歩であれば、 美味しいもの、可愛いもの、インスタ映えするものなどの楽しい時間を過ごすための要素を盛り込み、充実した一日を過ごそうという目的で出かけるだろう。 もちろん、より高いレベルで非日常的な充実した時間を過ごすためには、常にリサーチは欠かせない。この状況下では、その努力を生かせないけれど。

 充実した体験のために、情報を集めて積極的に色々な楽しい要素を追い求めてきたのに、そもそもハイス ペックな活動が制限されてしまい困っている大人と、日常の中で、身の回りのものしかなくても、その興味関心を拡張させて活動し楽しめる子ども。
 もちろん、大人と子どもでは、積み重ねてきた体験、刺激、知識の量が全く違い、子どもが興味を示すもの に同じように大人が深い興味・関心を示すことはできないだろう。 しかし、今こそ、与えられた情報の量や精度、条件の良し悪しに囚われずに、興味・関心を見つけ出して日常を拡張 させていくという楽しみ方を、保育園児から学ぶべきなのかもしれない。
 僕が畑の脇の小道を見つけることができたのは、いつもの散歩道からなんとなく横道に逸れたからだ。もちろん、客観的に見れば、何のことのない小道を歩いただけのことで、大層に論じるようなことは何もなく、誰かに誇るようなことでもない。が、たしかに少しだけ、日常を拡張できた経験だった。

 緊急事態宣言も解け、制限はあるものの、急速に元の日常が戻ってくるはずだ。僕も先送りにしていた用事を片付けなければいけないという気持ちが湧いてきている。

 でも、そこまで急いで取り戻さなくてもいいのではないか、とも思うのだ。 少なくとも、保育園児に倣う散歩を続けるくらいには。

(了)

※このエッセイは、PLANETS Schoolで2020年5月に開催した「エッセイ添削講座」への応募作品です。

PLANETS Schoolとは、評論家・PLANETS編集長の宇野常寛がこれまで身につけてきた〈発信する〉ことについてのノウハウを共有する講座です。現在、7/9に開催する「レビュー添削講座」への応募作品の募集を6/26(金)まで行っています。ぜひ、チャレンジしてみてください!
※ご応募はPLANETS CLUB会員に限らせていただきます。


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