【#同じテーマで小説を書こう】羽ばたけ、私の風の声
「■■■」
【音】、というものを、初めて聞いた。
【それ】に驚いて目をぱちくりしていたら、大きな影が、逆光の中で嬉しそうに笑ったのが見えた。
その人は、また【音】を発する。
「■、■■■■■、■■」
その人から放たれる【音】は、聞きなれない私にはすごく大きな響きをしていて、とても暖かい。
私が恐る恐る手を伸ばすと、その人から、また【音】が放たれる。
ぴょんぴょんと周囲を跳ね上がるような、それなのにぐるりと私の周りを暖かい布で包み込むような。
伸ばした手が、大きな手に握られる。
それは、私が初めてものに触れた瞬間。
―――あったかぁい。
思わず、頬がゆるっとなる。
暖かくて大きくて、何でも任せてしまえそうな存在感。
その暖かさは波紋のように内側に広がって、内側がくすぐったくって、なんだかうれしい気持ちでいっぱいになる。
温かい気持ちが体中に広がる。
そのあまりの気持ちよさに、私はウトウトと暖かい夢に微睡む。
私が、ここに来る前の、夢を見る。
・ ・ ・
「ここ」に来る前、私は強い風だった。
冷たく青い海原に、一際力を強くして白い波を立てて遊んでいた。
砂の大地からふわりと浮き上がる、さらさらとした砂を巻き上げて一緒に踊った。
広がる草たちを擦り合わせて、世界の果てまで響くように共に旋律を奏でた。
これは、風として生きた私の最後の記憶。
果てのない清涼な空よりはるか遠く、どこまでも広がる深い黒色を目指した。
小さくて不思議な輝きを無限に持っているその黒色に、なんとしても触れてみたくて。
―――どこまでも、どこまでも、突き抜ける。
海に波を立てるより鋭く、砂漠で砂と踊るより速く、草原で音を奏でるより、はるかに強く。
見えない翼を力強く震わせる、あの強烈な快感。
けれども、黒色がある場所は恐ろしく遠く離れた場所だった。
私は途中で力尽きそうになるのを何とか堪え、翼を強く広げる。
そうして私は、とうとう青色を突き抜けて。
「やった」と思った途端、すべてを塗りつぶす強烈な輝きに包まれた。
そして、気が付いたら、ここにいた。
私は、「形あるもの」になっていた。
もう、頼りになる見えない翼はどこにもない。
海にいたずらすることも、砂たちと踊ることも、草の歌を共に歌うこともできない「形あるもの」としての小さな体に、私は恐れおののいた。
ふにゃふにゃした体、突き刺さる淡い光、暖かいけど大きな影、何よりも響き渡る強烈な【音】が、とても怖い。
思わず、体を硬くする。
小さく縮こまり、隅っこでグルグルうずくまる弱々しい風のように情けない姿。
何もかも、初めてだ。
私の知っているものは、今、どこにもない。
・ ・ ・
「■■■」
また、呼ばれた。初めてばかりの私には、驚くほど大きな音。
ウトウトと微睡んでいた私は、びっくりして。
反射的に、生まれて初めて【音】を出す。
「うわぁぁぁぁぁん!」
自分の喉から滑り落ちたその【音】にすごくびっくりして、私はすぐに泣き止んだ。
大きな影が出す【音】より、はるかに大きなそれ。
【音】が出されて、世界が震えたのがわかった。
小さな体が勝手に震えて、全部のエネルギーを使って【音】を出す。
すべてを震わせる【音】を、他の誰でもない私が出している。
―――これは、なに?
大きな影が放つ優しい【音】が聞こえる。
意味はまったく解らないが、今度は、はっきりと形をもって、心に届く。
「元気な【声】ね、私の赤ちゃん」
――【声】、そう、これは【声】というんだね。
小さな口から止まらない、空気を、光を、世界を震わせる音。
お腹の底から響き渡らせれば、震えが止まらなくなるほどの快感をもたらす。
声と共に吐き出される息が、世界を巡る風の一部になるのが、かつて風であった私にはわかる。
黒色の空に果敢に挑む風だった時に感じた、熱く昂る気持ちを思い出す。
あの時に黒色の空に挑ませた力と同じものだ。
どこまでも深く繋がる場所から止めどなく溢れだす、力の奔流が【声】になる。
生まれたばかりの小さな体を満たすそれが、【生命】であると知るのは、まだまだ先の話。
「きゃはははっ」
生まれたばかりの赤ん坊は、世界を震わせる【声】が、嬉しかった。力溢れる【音】が楽しかった。
もう、「何もわからない」ことなんて、怖くない。
――だって、この【声】を聴いてよ。
【声】は、生まれたばかりの小さな命の存在を、この世界に刻み込む。
私が、この世に生まれたことを、いろんな存在に教えてくれる。
空気に、風に、太陽に、海に、空に、人に。
――ああ、なんて、なんて楽しい!!
気を利かせて挨拶に来た風が、その【声】を背に乗せて、開いた窓から去ってゆく。
小さな命たちは、皆、軽やかに【声】を上げる。
大人達には聞こえない、言葉になる前の【声】で、小さな命たちは世界にこう宣言している。
――きけ! 風が生まれ変わった、この【声】を!
生まれたばかりの命たちの声は、今も海に波を立てて遊んでいる。
生まれたばかりの命たちの声は、今もきらきら輝く砂と共に踊っている。
生まれたばかりの命たちの声は、草と共に歌を奏でて世界の果てまで旅してゆく。
今日もまた、新しい命が生まれ、大きな声を上げている。
そうして世界に満ちる【声】達は、翼をもつ風と共に、軽やかに羽ばたきながら、広く未知に満ちた世界に旅立ってゆく。
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