紫丁香花と金木犀
気が付いたら、重陽の節句を過ぎていた。
暑さと涼しさが背比べしているかのようで、まだ秋の気配を感じない。
関東圏にいる私は、金木犀の香りで秋を感じるようになる。けど、まだ。
空気の色は秋の色。体は季節の変化を感じて戸惑うけれど。
まだ、金木犀は薫らない。
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2019年11月に、このような記事を書いている。
紹介して頂いた音楽を聴いて、その曲からインスピレーションを得た小説を書こう
実のところ、この記事を書いた時、30作品はあった。もう書いていた。
―――けど、残念なことに。
デ ー タ 吹 っ 飛 ん だ 。
…………元プログラマーとしては、ちょっと土下座しなきゃいけない。すみませんごめんなさい。バックアップはプロット以外とっていませんでした。
そしてもう一つ謝らなければいけないのは、この企画の小冊子化について。
転職やコロナ禍などで、ちょっと財政的に小冊子化が難しい。
結論:まぁ、いっか。
良くも悪くもこだわりがないので、そういう事柄には極端にマイペースを発揮。
とはいえ、せっかく募集した音楽のアイデアを無駄にするつもりは毛頭なく、また協力してくれた方々にも申し訳が立たない。
なので、普通にnoteで連載していこうと思います。
Twitterで募集したため、なかなか接触のない方もいるのだけれど――。
それでも形にする約束は、必ず守ります。
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本日、ひとつのお別れをした。
窓の下で、カーテンのように、扇のように広がっていたライラック。
日の当たり方が悪いせいで、不思議なほど花がつかない。
季節を忘却してしまったこの細い木は、開花する代わりに、ほぼ一年中、葉を広げる選択をしたらしい。
けれど、もう、葉の色が異常だ。
必死に生きているのはよく知っていた。
窓が開いていないときは、鳥たちの休憩所になっていたり、涼しい風をさらさらという葉が擦れる音で知らせてくれたり。
人間の都合だった。
「葉が落ちると近所に文句を言われてしまう」「とても大きくなってしまう」「ごめん、それをもう世話できない」
伐採した木を小さく切ったのは、私。
断面は、想像以上に美しく、固い。
そういえば、このライラックは一度だけ咲いたことがある。
不思議な話だけれど、植えた祖父が亡くなった時、こぶし大の大きさの花が咲き、びっくりするほど濃厚な芳香を広げた。
以来、とうとう花は咲かなかった。
物心ついた時からほとんど一緒に育った木。
「あぁ、何かが終わったんだな」
何が終わったのかは知らないけれど、ぼんやりと、次の始まりを感じ始める。
ちょっとだけ、金木犀の香りが漂っていた。
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本当にやりたいことは、すぐにはできないことが多い。
特に最近は、そういうことが多くなった。
いや、もともと時間割が苦手な人間なのだ。
体力も決してある方ではないし、「気合で何とかなる」というほど完全燃焼できる気がしない。
それでも、意外にも迷わない。
小冊子はまだ叶わないけれど、小説を書こう。
今は無理だけれど、ゆっくりと長編を書こう。
花は咲かなくても、内側がとても美しかったライラックのように。
やっぱり、この木と自分は「友達」だったんだなぁと、寂しさと面白さが半々の気分で、今日は過ごした。
読んでいただきありがとうございます。 頂いたサポートは、より人に届く物語を書くための糧にさせていただきます(*´▽`*)