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2万Hz以上の音が、泉に響く

「2万hz以上の音を文章で表現してみる」

 普段、自分が考えていることが具体的に言葉になった気がして、ちょっと怖いなと思った。

 あえて言葉にしてこなかったこと、あえて曖昧にしてきたことに、嶋津さんは果敢に向き合ってゆく。

 私も、タイミングは外れてしまったけど、「2万Hz以上の音」を表現してみたいなと思ったので、誰にも読まれなくてもいいから、そっとここに記事を置いてみる。

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 私の趣味は寺社巡りだ。

 特に「秘境」といわれるような山奥の神社が好きである。

 何度かバスを使って神社を詣でたことがあるのだけれど、奥深い山に人が入るときに「人が癒される」というのは、森林が出すフィトンチッドを受けるだけではないと、いつしか思うようになった。

 山の中に含まれた鉱物の声を、我々は聴いているのかもしれないと。

 山奥の神社には、時折「磐座」というものがある。

 巨石信仰というやつで、古代の人々は岩を神様が宿るところとしてまつっていたのだという。

 実際、時計のクオーツや水晶振動子でも知られているように、地面に大量に含まれる石英は、電気を通せば振動する。

 一般的な時計の水晶の振動は、32.768kHzとされている。

 そう考えると、石英を含む日本の山は複合された鉱物の固まりであるといえるのかもしれない。


 もし、山の中にひっそりと眠っている無数の鉱物たちが帯電していれば、我々の知る身近な山は、常に歌っていることになる。(人間も帯電しているのだから、もしかしたら山全体も電気を帯びているのかもしれない、と思って)

 昔の人々はそれを知っていたのだろうか。

 それはもう、解けない謎であるのだけれど、もしも彼らが「石が歌う」ことを知っていたから祀ったのかもしれない……と想像せずにはいられない。

 話はころりと変わるが、東洋の体術において必須なのは波動であるという。

 当たり前だが人を殴ると痛い。特にげんこつだと。

 決してオススメするわけではないが、護身術として覚えておくなら手のひらで相手の腹部などに当てる掌底(グーではなくパーで相手を殴る)が一番効果がある。

 なぜなら、人の組成はほぼ水だから。

 人の中で掌底の衝撃は増幅され、内蔵を揺らす。

 掌底を打ち込んだあともダメージは残る。実は拳より衝撃があるって、ご存知?

 真面目に危ないので、緊急時以外には使わないでね。

 痛い具体例だが、言いたいのは、人の体は思った以上にあっけなく揺れを感知すると言うこと。

 そう、人は、いつだって揺れるのだ。

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ーー山に立つ。周囲にあるのは深い森。

 森林から漂う香りを吸い込んで。

 足元から響く鉱物の振動は、あなた自身を揺らし、いつしかゆっくりと共鳴してゆく。

 体の中にたゆたう水が、山と共に歌う。

 呼吸は、自然とゆっくりになる。

 音ならぬ歌に酔いしれる空気を吸い込み、再びどこかへ吸い込まれる吐息を出す。

 ーーなぜか、その繰り返しさえ、音楽の余韻に似て。

 体は、その音を知っている。
 私達の中にある泉が、ゆらりゆらりと揺れるから。

 私達が、自然の一部であるのだから。

 2万Hzの音楽を。自然の織りなす音ならぬ歌声を。

 音を耳で聞くことは出来ないのかもしれないけれど、体の中にある泉を研ぎ澄ませて、私達はしっかりと聴いているのかもしれない。

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