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プラネタリウム と xR(クロス・リアリティ)

プラネタリウムでの映像といえば、いまは「フルドーム映像」、つまりドームスクリーン一面に映し出す、「全天周映像」とも呼ばれるフォーマットの映像が主流になっています。

しかし、コロナ禍の今。

プラネタリウム業界も、集客が難しいシアター型施設ということで、次の時代の流れが、急に現実味を帯びてみえてきました。

とくに注目したいのが、いわゆるxR ―エックスアール、またはクロス・リアリティと読みます― つまりVR(仮想現実)・AR(拡張現実)・MR(複合現実)などのこと。
フルドーム映像も、半球分だけですが「フレームのない、切り取らない映像」のフォーマットなので、とくにVRとは親和性が高いと言えますね。

この話、書き出したらいろんな視点から書きたいことがありすぎるので、定期的に取り上げようと思っているのですが、ひとまずは論点整理をしてみましょうか。

プラネタリアンが、xR(VR)を始めたら…

シアターに人を集めなくても、ネット配信で個人向けに、プラネタリウムやドーム映像のコンテンツを届けられる、ということで、VRを活用したプラネタリウム施設の試みが、一部で始まっています。例えば、こんな感じのものなど。

もちろん、フルドーム映像も、例えば下半分に座席を配したようなスタイルで、VR映像としてネット配信される例も、ここ数年でかなり増えてきた印象です。


ただ、これまでドームシアター内で行っていた、「ショーとしてのプラネタリウム投影」あるいは「シネマ作品としてのフルドーム映像上映」の代わりとして、そのままVRを使えるわけではありません。

いや、表面上はできているのかもしれないけれど…、正直なところ、やはりそれでは従来のプラネタリウム/ドーム映像の魅力を、ほとんど台無しにしかねない、という気がする。

いったい、なにがどう、うまくいかないのか。
ドーム映像をVRに変換するとき、なにに気をつけなければいけないのか。

一筋縄じゃない難しい課題を、私なりに整理してみます。

・「シアター体験」から「個人的体験」へ

複数人が同じ空間で、いわば体験を共有するシアター型体験と違って、HMD(ヘッドマウントディスプレイ)などを使うVRは、個人ベースの体験となる。

このことはきっと、すごく大きな心理的影響があるはず。

同じ場所で同じ体験を、だれかと共有する ―そんな、シアター型の映像体験とは異なり、例えばスマホで自分の好きなウェブサイトや動画を見ているときのような感じ、だろうか。

いろんな意味合いがありそうだが、まずはともかく、「体験の共有」という感覚をVRで生み出すのは、容易ではない。そして、だからこそ、従来のプラネタリウム番組(フルドーム映像作品)は、そのままではVR変換しても真価を発揮できないものが、きっと少なくないだろう。

・全天周(フルドーム)と全球(360°映像)

これを論じる前に、平面映像 vs. ドーム映像 の対比も、じっくり考えないといけないけれど、それはまた別の機会に。

ひとまず フルドームの画角をさらに広げて、全球型のVR映像になった場合の、画角の違いについて考えてみる。

<VRのリアリティ>
VRでは、上下左右前後、すべての方向が映像空間になるため、椅子に腰掛けて映像を見上げるドームシアターとは異なり、映像のバーチャル空間内に、完全に自分が入り込む。

例えばプラネタリウムで迫力あるドーム映像を見ているときだったら、自分の座っている椅子が動いているような錯覚を覚えることはあったとしても、自分が座っている椅子の存在だとか、隣りに座って一緒に映像を見ている人の存在、などは、ちゃんと現実のものとして認識できる。

しかし、仮想空間の映像で完全に包み込まれるVRでは、バーチャルでないモノが、見えていない。現実世界を、目で見て確かめることができない。

これは、フルドームを超えた臨場感/リアリティなのだろうか? それとも、ある意味、臨場感とかリアリティが無い状態、と考えたほうが良いのだろうか?

それに…書いていて段々感じてきたのだけれど、こういう話は、ARやMRだと、また違ってくる。

無意識に気持ちを支配されかねない領域の話なので、やっぱり「習うより慣れろ」だといって、考えることを放棄しちゃ、ダメだと思う。

・視聴者自身の映像世界への参加

単なる全球映像、というのに留まらず、VRでは自分自身が映像空間にアバターとして参加して、その仮想現実空間の世界に飛び込み、いろいろ働きかけもできるような、そんな設定であることも多い。

これもまた、「映像体験」なるものの概念を、ガラリと変える可能性を秘めている。

<アバター体験は、現実の体験?>
アバターとして参加するVR体験が、ありふれたものになるような時代には、もう映像体験と現実が、それこそ入り混じって境界線が曖昧になってきてしまう。

これもやはり、ARやMRなどが絡んでくれば、なおさらややこしい。

そうはいっても・・・
現代の感覚だと、「仮想と現実の区別が曖昧」っていうと、なんだかゲーム依存症になった人の感覚のような、ちょっとネガティブなイメージが先行してしまいそうだけど、本来は必ずしも悪い意味じゃないはず。

良い例えかどうかわからないけど、例えば現代人だって、『電話を使って遠く離れたところにいる人としゃべること』とか、『テレビやネットの生中継で映し出される光景を、いま現実世界で起こっていることだと認識すること』は、あたりまえに受け入れているわけで。

そういう感覚で、クロス・リアリティの世界も、現実世界と深い関係を持った、実感が伴うものになりうるのだと、そう考えている。

・プラネタリウム以外の場との親和性

これは、先ほどまでとは全然違う視点だけれど、プラネタリウムという狭い業界の中で独自に進化してきたフルドームの世界と比べて、VRなどは、格段に多くの企業や一般視聴者に開かれた市場のなかにあり、ものすごいスピードで進化し続けるメディアであるということ。

プラネタリウム関係者は、これを心して受け止め、覚悟を決めてxRの世界への挑戦をしていかなければいけない。

<市場原理>
教育向けコンテンツが多くて、言ってみれば市場原理の競争に、あまりさらされずにきたプラネタリウム向けコンテンツの世界は、、単純な人気投票的な評価だと、ゲームとか萌えキャラ的なコンテンツには、とてもかなわない。

でも・・・これまで少しずつ積み上げられてきた、フルドーム映像のプラネタリウム番組は、映画のような壮大なストーリー性、見る人の世界観をも揺るがすパワフルなメッセージ性、研ぎ澄まされたアートのような作品性がある。

メディアの形式が変化するとき、そういった積み上げは、決して失ってはならない。新しいメディアを受け入れるとか受け入れないとか、そういう話とは別に、これは守らなければいけないし、さらに追求し続けていきたい。


いまの自分に、できること

そんなわけで、今回は感覚的な話ばかり先行してしまいましたが、、しかしやっぱり、考えずに受け入れるのではなくて、考え悩みながら、ちゃんと上手に試行錯誤していくことが、ものすごく大事だと思うのです。

自分がいまできることは、なにがあるのか?
それはまず、国際科学映像祭の枠組みでイベントを作り、色んな人のいろんな考えや感性に触れる場を増やしていくこと。

そして、個人としても、自分なりにいろんな角度から掘り下げて考えてみて、発信しつづけていくこと。


プラネ業界の仲間も巻き込んで、今後の良い展開を作っていきたいと思っています。






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