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忘れはしない1990年代 Memories of Honolulu Hawaii  旅行屋の嘆き


はじめにね

写真が無くて申し訳なく思います

最初から無かった理由ではないのです
ただ、長い長い 人生の中で色々会って
紙焼きのアルバムは手元になくて
思い出だけが残りました。
写真があれば、どんなにいい思い出になっていたか
思ううと切ないけれど
無いものを、どうこう言っても始まらず 文章で残すしかないか

そして、今書いているのは、知っている 人は 少し 懐かしい そんな 懐かしさのmemo なのです。
どうしても、書きたくなって #殴り書き  なのですけど・・
酒の肴に眺めてほしいのです

ハワイ そして取り巻く場所での1997年 〜 90年代のお話です

大昔、未だこの頃は確か 米国の入国には、B-1 B-2 VISAで入国していた気がします。
この後、ウエイバーフォーム I-94 w での入国が可能になった気がします

チョイ業界ネタも入れてますので、文章としての体裁は成していないので
そこは本当にゴメンなさい・・・
逆に分かる人は ニヤニヤしてください

1990年頃のハワイ団体旅行

ハワイに行く場合、比較的お値打ちのフライトは UA-830 UA-831 だったかな・・
行きは暗うちにHNL APTに到着するのですよね
5:30 Arv とかで

#WikiWikiBus に乗っても、未だ空港は夜なんですからね
ハワイって意外に明るくなるのが遅かったりして

ただ確実に この場所はハワイなんだ
そう感じるのは
あの楽園の香りなんだと思います

今、目を閉じると
すべてが思い出されます
エアコンの冷気と
あの香りがです

ハワイって到着した時
効きすぎるエアコンを、そこかしこで感じ

ハワイからの出発は
外気を感じる
あの島独特の風は花と海の香り

到着は ウイキウイキバスでゲートから離れ

出発は何故か、歩いてゲートへ
特に、JAL便で変える時は、かなり長い道を歩く
でも、それが無いと少し寂しい
あのエアポート 露天のコンコースからゲートに向かう、あの長い回廊みたいな通路が僕は大好きだった

空港もそうならば
ホテルもそうで
到着時のヒンヤリと
出発時の蒸し暑さ

特に僕らは、到着日と最終日はネクタイとスーツだから
ネクタイを締めて、暗いうちに ホテルのバゲージストレージに降りて
個数を数えると、自然と汗が流れ出す
それでも、それでも、あの島は僕等に優しかったと思う

到着した最初の1日は

話が逸れて再び到着した空港に戻る
イミグレは少しだけ空いていて
ターンテーブルを出て税関に書類を渡して
直ぐ左折
団体は左で
Group Exit
と書かれた所から出ます
この感じ、まんま昔の香港にも似てる

出れば、いつもの景色 でアロハの人々がお出迎え

Baggage にはホテル名のTagが着けられていきますね
HHV PK AL HR HYA HIW みたいに・・・
ムームーを着たガイドのお姉さんたちともミートです
この人達って
日本のおばちゃん達より
日本のおばちゃんなんですよね
大好きです
つづいてはエスカレーターを上がると、生花のレイ お客さんのクビにがかけられるです ここでも、微かなハワイの香りのデリバリーなのです

少しするとバスがやって来ますよ
バス会社は #グレーライン #トランスハワイアン  そしてたまに #ロバーツ
 これは一番目立つ 黄色いウサギ ですよね。

エアコンガンガンのバスで出発
この時代からバスはオートマで、とにかくデカイ音でゆっくり走り出す
肘がウインドウレールに触れると冷たいのですよね
何故か眠くなります
また暗い中を
ステイトフリーウエイ H1 で空港から離れます
こんなに朝早くでは、土産物店 #ジャジャファッション  も #サンマリ  もオープンしていないでしょ? とか思うのですが、ちゃんと オープンしてるのですよね
びっくり
ここで、到着後 いきなりのお買い物??
こちらは、 #おにぎりをぱくつく #ペイストリーを頬張る  これは、お店により違います はい コーヒーもいただきま〜す。
これこそが、良い悪いは別にして ハワイのおもてなしです

ここを出ますと
お決まりの観光です
観光と言えるのか、記念写真をとってお買い上げいただく儀式となりますね。 #風の名所 #ヌアヌパリ  ここで、アロハの形に手を握り お写真
風が強いのですからね 写真撮影には極めて不向きだと思うのですけどね
そして写真は、お山の上から、海へとまいります。
#マジックアイランド で1枚です。
アラモアナ辺りの海辺ですね、確かにハワイらしい場所ではありますが

され後の観光は、 #パンチボールの丘  いつも思うのですが なぜ、お墓に行くのか、未だに永遠の謎です 観光地としてお墓に行く 

そうはいっても、行くことには変わりなく、なぜか毎回行くのですね

ランチはと言えば、これは旅行会社や旅行形態により異なるのでしょう
ひどいのは、ホテルのバンケットで、本当に軽いフルーツとサンドイッチだけ出して、そこで滞在中のオプショナルツアーの注文をさせる
これは、私、お客さんとして初めてハワイに行った時に
その後、潰れることになった旅行会社のツアーで経験しました
食事どころか、オプショナルツアーのプレッシャーのかかる即売会ですよ
皆さんが買うのを見ると、買わないといけない そんな気がする
日本人特有の、「皆さんそうされてますから」という言葉に極端に弱い
その時の、私は、ここで、離島観光を含む、オプションをものすごく注文したのを覚えている ちなみに、この旅行会社の手配、予定便で帰国できないどころか、それを知らされたのは帰りの空港に着いてから、免税品は受け取れず。別送扱い、おまけのそのあたりの説明も無し。
正確には、説明というより 決まりごとの通達で」こうなりますと切り捨て
こちらは頷くしかない
元気と勢いだけはのある会社でしたけどね・・・
オフィスもいい場所に構えていてね
伝説のハワイ売ですね はい
何も知らない当時の私
このやりかたは当たり前だと思っていたんです
でも、やがて、自分の会社では、こんなことしたら大騒ぎんいなる
そう知ったのでした
そして、業界人になってから、ハワイで同じ目に遭っていた、その会社のツアーで来ていた人を助けて差し上げたのも懐かしく

で、愚痴はやめて、私がランチに良く行ったのは
ダウンタウンのレストラン #パゴダフローティングレストラン  と
少しお山の方になる #パラダイスパークレストラン  でしたね。
ともに、バフェだったと記憶しています。
パゴダの そうめん はどこか特徴的で好きでしたね
あの謎な空間もどこか違和感でも好き
パラダイスパークのジャングルの一軒家もまた、何かいい
そんなランチです

#DFS に立ち寄り カードを配り 休憩室のリフリーズから好きな飲み物を取り出して この時間を利用して、 #ワイキキビジネスセンター  のオフィスへ・・ 一様に知った顔にご挨拶、最初の頃は、週刊誌とかお菓子とか差し入れていたのだけれど、そのうちにそれもなくなり、でも大型の時には欠かさずに。後半は、先輩までもこのオフィに努めていたので、その頃は、 #アラワイブルーバード  沿いの ビスストロ銀杏 では 胡瓜割の焼酎を深夜まで飲んだもの メロンの味がするとはしゃいだりしながら・・・

観光と食事を終えて、ホテルに入ると、ラウンジではルームキーが用意されていて、これを配れば、一旦は業務終了 でもね、ツアーカウンターには、翌日のスケジュールを手書きで張り出したり。
ここは、同業者のたまり場だから、一様偵察、偵察
若手の頃は、一人で何でもやるのでね ボードを書いて、部屋でシャワーを浴びたら直ぐに、ディナーショウのへのアテンドとか
アレンドと言いながら、迎えのバスに乗って一緒に行くだけ
もしくは、歩いて行くだけ

#ハワイアンディナーショウと言えば 、PKの2階、かアラモアナ側にあったっけ。 バフェは、何とも言えませんの料理の数々でして、まあ食べないですね僕らは。ドリンクをもらい、ショウーが始まれば階下に降りて、プールサイドのバーで1杯かな。もちろん、中にはお客様とテーブルに付いて盛り上げる人もいたけれど・・・
あと、ここは、初日に入れるケースがほとんどなので、3泊、4泊、長くて5泊になる、パターンのハワイツアー、自分自身の滞在を有意義にするためのお友達を見つける場所として、この時間はかなり有効でしたね・・・
お客様は、ショウーを楽しまれ、こちらはお友達を探す。
意外にも、ハワイは狭くて、ここで知り合いに出会うケースも結構あつたし。
ショウが終われば、ホテルに戻り、長すぎる1日が終わる。
初日から、お友達と飲むか?
いや、大概は初日は爆睡

また余談ですが、PKのプールサイドのカフェも、待ち合わせや お茶に良く行きましたが、場所も作りも便利で好きでした。

ハワイ初日も長いけど、そこまでも長い長い1日

話は日本へと戻りますが、僕らの仕事ではハワイの初日はとても厳しい。
プロの添乗員さんならまだしも、僕らの様な、旅行会社のプロパー営業はハワイに行く場合は、結構面倒。だって、大事なクライアントとか、かなりの大型団体を仕切るとかが多いから。
そうなると、ハワイ線の出発はが夜多いから
こんな感じ

出発の準備や現地でのオペレーションの最終チェックとか、段取りの最終確認とかで、前日は深夜まで業務の場合が多かった。
出発前日の終電で帰り、翌朝は普通に出社、そこから留守中の他のツアーの段取りや、別ツアーの仕事や、本日初のツアーの問い合わせなどをこなして、オフィスを出て、成田に向かうのが午後。
この頃、僕ら 普通の挨拶として
オフィスを出る時の挨拶
ではハワイに行ってきます
明日からローマですとか
今からメインランドです とか

まあ、最も多かった挨拶は
では・・・に行ってきます
この ・・・ の部分は
そのツアーのクライアントの社名とディスとネーションがケース
これが多かったですね
「それでは ・・・の香港 い今から行きます」
といえば、オフィスのスタッフが
「おっ 気をつけていけよ」
とか
「行ってらっしゃい」とデスク堪能の同僚女性が笑顔で見送ってくれたり
そして、フライトが出るのが 19時 20時 21時 とか
こうなると、残業なんて概念の薄い時間、この時点でこの日の出社から既に12時間を超えているわけです。
余裕があれば、空港で軽い食事 当時は未だ1ビルしかないので、1ビル南ウイングと北ウイングの南より中間の1階、エスカレーター下にあった、スパゲティのお店、 #トマト だ定番でした。

余談、この書き込みは余談だらけ
私達の空港へのアクセスは TCATからのバス YCATからのバス
NEX 横須賀線総武快速のグリーン車 スカイライナー など
で、最高の奥の手は、ヘリ 鉾浜から空港までヘリが飛んでいて
出発直前までオフィスで仕事をしていて、いよいよ間に合わない最後の手段が、ヘリでしたね。私は残念ながら、そこまで押さないで仕事してましたが、押しまくる先輩は、これを使っていましたよ。

機内は眠る でも眠れない


ホノルル線で、フライトが7時間として、この間は寝るか??
僕の場合は微妙で眠れないタイプ
まあ、仕事はしないとはいえ、ホノルル着が日本時間なら、午前4時
ハワイ時間で朝九時、ここから夕方、そしてディナーショウが終わる
21時には日本時間では、16時
朝オフィスに出勤してから、ベッドに入るまでは30時間超えの勤務
若いとはいえ眠い仕事です。
でも、機内では眠れない、リターンの機内は爆睡できるのに
行きは眠れないのです

なので、ホノルル初日の夜はもう爆睡間違いない
けれど、翌朝はゴルフの送り出しとかあれば、朝5時には業務開始です。

余談です 1980年代 ホノルル線のビールは有料でした
それが、多分、1989年頃には無料になっていた気がします
小話、当時 JLさんの機材の中で 747−300 SUD
簡単に言えば、クラシカルジャンボなのに、アツパーデッキが後のダッシュ400の様に長い機材で、AUS便のカンタスの共同運航便などは Cでしたが、H NL機材はYのコンフィグがあるんですよね。
この場合、アツパーに団体が押し込められて、若手2名のCAさんが、この団体客を受け持つ、この団体が若者だったりするとかなり騒がしくて、私達も機内では、余計なお世話は基本控えるのですが
いろんな意味で、これは大変です
CAさんも、私達も、PAXも同世代 そんな時代でした・・・

滞在中は

これは、ツアーによりますね
クライアントとゴルフ という場合もあるし、クライアントとネイバーアイランドということだってあるし、巨大な団体なら、毎日エアポートとか、パーティーアレンジとか、イベントの仕込みとか。

一方で、のんびりなツアーなら、こちらものんびりです。
午前中はカウンターに詰めて、オプションの送り出ししたり、新規の予約を受けたり、まあ、若手の頃はのんびりツアーと言えども色々仕事もあるのですが、買い物にも行けるし、ご飯だって、現地での知り合った仲間たちと食べたり飲んだり。
時にはね、まあ、そんなことも当然の如くあるのですよね・・・
それは、ありますよね、若い頃ですからね

思い出のかけら

当時、ハワイにいくと、女性たちは、みな素敵なサマードレスを着ていたものです。これがね、ハワイには溶けるんですよ
#サンセットクルーズ  主だったところで #ウインドウジャマー  (帆船でした) #アイカネ ゙ (大型のカタマラン) #パラダイスクルーズ  (何変哲も無い鋼船のクルーザー)でした。
これには、賛否ありますが、1度は乗って損はないと感じています。

ハナウマベイからはじまった

環境保護の間で推移した素敵な場所ですね
正直、プライベートで右も左も解らない時に、彼女と手を繋いで行った時が
1番の思い出でかもしれません。 業界に入って行くハワイは、業界を知らないでいくそれとは、比べ物にならないほど、楽しかった そう今は思います。業界にいて全盛期のころに、知らないから損するなんて思っていた事もありましたが、知らないことで楽しめる事って、お金に変えられないのです。大好きなハワイ、今一度、業界に関係なく 最初の気持ちで訪ねたいのです。それほど、最初に訪れたハナウマベイは楽しかったし。初めて借りたレンタカーでのドライブ、はじめて行った時のマウイ島 ラハイナの景色
1番素敵な風に吹かれたころでしたから。
コンパーチブルのマスタングでH1を疾走するより
ドキドキしながら、ベージュのセリカでアラモアナあたりをウロウロシた頃の自分が好きでした。
あの日出た、ダブルレインボーも忘れない。

その頃の私
残るのはこの写真くらい

大好きなハワイのこと

ここからは、本気の落書きです
ダダ書きしますので、ダダ読みして もしも
引っかかるものが一つでもあれば 皆様へ

○キングス・ビレッジ だ大好きな場所

#アビレックス  の #フライトジャケット  G-1を買ったのもここ
   #フローズンストロベリーダイキリ を何杯も飲んだし
#田中オブ東京  で鉄板焼を食べたのも

○ハワイの朝ご飯

 ホテルの朝食レストランには気さくな女将が 記憶が曖昧
 司 アラモアナホテルのロビーフロアの左の奥
 リージェントの2階 名前が出てこない
 ふる里 もう名前が出てこない 
 将軍 弁慶 義経 

○ホテルのこと遊び場のこと

 パックビーチが一番好き なぜ? 解らいのだけれど思い出だらけ
 HHV といえば紅花 モアナと言えばベランダ ハレクラニならば朝食
 イリカイであまり激務で部屋に帰れずロビーで寝たことも
 ハワイプリンスでは不思議なことも思い出に
 アラモアナ ラナイでの飲み会 ホリデイインワイキキ ペプシの販売機
 スパッツ スチュードベイカー マハラジャ 思い出満載
 ヤミーヨーグルト ボーリング場のテールス―プ ジョンドドミでロブス 
 ター ニュー東京レストランのてりやきステーキ 
 赤坂の冷酒 ダウンタウンの町中華でやきそば
 ノースのフードトラック ガーリックシュリンプ
#ダニーカレキニ ディナーショウ 一度も言ったことがないけれど 一度は見たかったのです カハラでしたよね

それでは アロハ










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