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それにしたって、贅沢すぎる

高校時代 親友がいたんですよ
こいつが、もはや、凄いやつで
素行はあんまり良く無い男だったけれど
気持ちの良い奴で
横浜は戸塚という所に住んでいて
この、戸塚という街は面白い町で
当時、二つの楽器屋が
それぞれにスタジオを持っていて
このスタジオが、この土地に
バンド文化をもたらしていたことは
間違いないわけです。
今は、名前も思い出せないけれど
確か
戸塚駅のごちゃごちゃした商店街の中に位置していて、楽器を買った覚えはゼロで、もっぱらスタジオだけ借りていた、そんな気がするのです。 小さいけれど音の良いスタジオで、確か狭い階段を上がった2階だったような。
#ワカイズミ楽器店  そんな感じです。
もう一つは、かなり広いけれど、どこか倉庫を連想させたのが、確か、ヤマハならぬ、 #ハマヤ  だった気がしてます。
そんな、スタジオに通いながら、真剣に取り組んだ音楽。
皆さんは何を想像します?
バンドですからね
はい、いくつものアーティストの名前が浮かびますよね。
でも、たぶんそれ、全部 私たちは裏切ってしまっていると思うのです。
どんな音楽かと言えば。
はい、私の楽器はこれでした。
中学卒業した年に
お年玉で買ったもの
#YamahaSG1000
人生3本目のギター
最初がガット弦
そしてアコギはヤマハだった!
その流れで、ヤマハのエレキ
なわけない
この時代の #ヤマハのSG といえばハイそうです。このエレキを買う前はと言えば
雑誌の、裏表紙に出ているような
玩具みたいなエレキを友人に借りてきて
はじめて耳コピした一曲が
#ジプシーウインド  でした。
もうお分かりですよね

ヤマハSG-1000

話を戻します。
親友と呼ばせてもらう、この男は
もっぱらベース弾きでした。
#フェンダーのプレベ  を模した フェルナンデスのプレベを弾いていました。
この男の、ただの素行の悪い高校生ながら、背の小さな男ながら、横浜〇〇みたいな格好をしていながら、この男から
生み出される音ときたら、もう目を閉じれば、別人の演奏な訳です。
例えるならば、超絶技巧で知られる、あの超有名ドラマーである #神保彰先生  のあのスネアの如く、弾かれるベース そうです。あの #ドミノライン  こベースソロパート を完コピして、ステージでもやってのけたのが、この男です。さらにこの男のすごいところは、前出の曲では、超絶技巧でワクワクさせたかと思えば、 #スウェアー  では、あの独特のバッキングギターに合わせて、裏打ちの如く鳴る、メローなベースサウンド、 #ギヤラクテックファンク  や #アサヤケ  そして、ユニゾンフレーズと言えば はい #スーペースロード
ですね。
これを聞けば、気持ちは高校時代に飛んでいきます。

当時はバンドスコアも買わず
必死に耳コピ
耳コピしては
誰かの家に集まって
互いの耳コピ披露と
耳コピチェック
して、曲を仕上げていくわけ
そして、スタジオで合わせて
貸しホールでライブ

今じゃ、アーティスト本人が
動画サイトでテクニックを明かしてくれる
羨ましい 本当に羨ましい

というか、贅沢すぎる
#野呂一生  様が ギター一本で
#TakeMe  を弾いたり
#アサヤケ  のバッキング伝授
あり得ませんよね普通に考えてたら
#日本青年館  に通った人からは
神の動画ですよ
#カシオペア
#スクエア
#プリズム
#難波エキスプレス
そうですねえ
#メゾフォルテ
#リーリトナー
#カールトン
#ジョージベンソン

あげればキリのない
アーティストばかりで

ベーシストの親友との高校
3年間は楽しかったわけです

でも、そこでの気づき
僕らの耳コピ
間違ってない軌跡

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