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The change of viewpoint

ここに書く事が、何らかの問題を含んでいるとしたら
僕の考えは不謹慎なのかもしれないから
でも、この発想が本当に不謹慎なのか、そうでないのかは時代が決める という 使い古された表現になると考えています。

1965年 生まれの矛盾した人生


この世代は、 #新人類 と呼ばれたのです
新しい価値観を持ち、それが既存の概念からは理解されなかったから
具体的にこの世代を説明するのならば、こんな感じ

1980年代 きちんと仕事もしないで、ただ年齢を重ねただけの人々が、役職と沈金を保証されている事に異議を唱えると。
会社は、「お前たちも、年齢を重ねれば潤沢な給与が保証されるんだ」
と説明され、我慢を強いられ
マネタイズされない残業時間を奉仕し 必死に頑張った 若い時

2000年 今に時代は実力が総てです、稼いでいないの熟年者の給与を
上げる理由が無いと言われる。

この意見は、正に 自分たちが若い時に主張した理論 だから闇雲に否定する気にはなれなかった。
そして、リタイヤ直前 80年代の理論は否定され 稼いでも得られず 反面 年齢を重ねても 得られず さらに痛恨は、この世代はサラリーマン人生のほぼ総てを、 #失われた30年 の間に過ごしている。

正直これは現実ではあるけれど、これを恨んだり憎んだりしているかと言えば、意外にも答えは No むしろ、この皮肉は 笑い話の酒の肴 の価値しか無い。

実務に精通した、経営者ノウハウの無い経営者の量産

時代の中で昭和の経営は姿を変えて来たわけで、仮に当時は一つのブランドである東証一部上場企業と言えど、時代の波には抗えず
#社内ベンチャー
#分社独立
#ファンドの介在
#M &A
#HD化による再編
#不採算分野の削減
#ヒューマンリソースのアウトソーシング
短期的には、業績は上向くが
ディケイド単位での再生産は難しく
意に反した道を歩むことも

これらの流れは、成績優秀の叩き上げサラリーマンが、経営実績ではなく、営業実績を認められ、経営者になる場合などが考えられる。
本業で成績を上げ続けた人間が出世をするのは、社内の合意形成を得やすい。
これは当然のこと
しかしながら
仕事ができることと
企業を経営する能力とは
時に同じではなく
例えば創業家系の企業なら経営とは何かを叩き込まれた跡取りが頭を取るけれど、そうでない企業は、社長が実務に明るく経営には暗い場合が散見される。これらが、変な派閥と塊で企業を支配すると、そこにはもはや、従業員にも株主にも、決して喜ばしい経営にはならない。
やがて、会社は傾き初める
それでも、権力のある経営者は、社内の別の派閥や塊には助けを求められないから、企業内の自浄作用は機能しない。
そうなると、ここにビジネスチャンスを見出す者達が外から集まってくる。
この、メンバーは実績と利益を求めるが、本当にこの企業のためを考えてはいない。
当然ではあるけれど
言葉巧みにかる、説得力のある資料を揃え、ノウハウを小出しにして、能力の劣る経営者の懐に入り込む。
それも、愚かな経営者を藁をも掴む思いで、縋りつかせるのではなく。
愚かな経営者に、自信と安心を取り戻させるのだ。
プロ集団である彼らは常に、この経営者を担ぎあげながら、後ろで舵を握る。企業業績は徐々に上向き、一見すると順風満帆に見え始めるもつかの間、彼らプロ集団以外は想像もしない結末が待っている。

経営者になるのなら 学びはいたる所にあるけれど
本にあることは、実体験で学んではじめて学びだと
ぼくはね、そう思うんだよ これは持論なのです。


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