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むかし、若き旅行屋が遭遇した文化のハードル

#私の仕事   #画像はイメージ #旅行屋

なんだよ、このタイトルは?
今日は、私が若い時のお話、ちょっとほろ苦いお話ですが、色恋は出てまいりませんので、あしからず。

※この文章、読んでいただいている人は、何かの役に立つのだろうか? いやあ 疑問だし、最後まで読むだろうか? いやー疑問だ お許しを・・・また、このころは、未だ携帯電話は一般的ではない時代です。通信にはもっぱら、固定電話の時代です。何台もにわたる車両間の連絡、段取りは、国によっては無線機をレンタルして活用するという時代でした。

今は昔、華やかな90年代
フランスのとある都市で、ちょっとした式典 祭典 が行われることになりまして、私たちは、そこにご招待を受け、渡仏するミッションのお手伝いをすることとなったわけです。業者選定の過程で、この事業が公共性もあることから、1社独占とはせずに、他社さんとの共同での扱いとなったわけです。数社が、連携するところは連携し、個別に動くところは個別に仕事を進める形であり、折角の渡仏を有効に行うため、主目的に併せて、それぞれの分野の視察、訪問、などが組み合わされプログラム化されました。それこそ、何か月も前より、現地や日本にある出先機関ともども、入念に確認作業を行い、手配を進めてたわけです。

最終的には、欧州旅行最良の時期とされる、初夏の良い時期に、現地へと旅立っことになりました。現地には数日前から既に、先遣隊のスタッフもおり、我々本体が到着する頃には、ある程度、お膳立ての整った状況で現地に入れたわけです。先遣隊のチーフには、私の直接の後輩があたりました。本体は、空港から市内に到着した後、バス移動の団体参加者は市内を一望できる丘の上に案内されました。別に、何があるわけではないのですが、招待した側からすれば、私達の街を、どうぞご覧く下さいね。と言う意味と、こちら旅行屋にもそれなりの、理由が存在したわけで、このワンストップが、絶好のスケジュール調整と、スムーズな初日のチェックインとレジストレーションに不可欠な時間となっていました。日本からの皆様は、見下ろす街の景観にそれなりに感動されておられ、しきりにシャッターを切っています。実は、この時間こそが、その実、チェックインとレジストレーションの長い列にお並びいただいてい事と同様の行為となるのです。先乗りのスタッフ達はこの時間までに、総てのホテルの部屋の確認と鍵出しを済ませ、ルームキーはこの場所にホテルの使用案内が入った封筒とともにお持ちしています。景色を見て、バスにお戻りと同時に、ホテルのキーが渡され、社内でホテル滞在に必要なインフォメーションが行われます。さらに、式典参加に必要な書類もセットされており、参加者は車内で登録内容を確認してサインをしてバスを降りれば、後は直接お部屋にお入りいただける形です。さらに、セダンで空港から街に入ったVIPは今この時に到着しており、ホテルの落ち着いたクラブフロア等でチェックインとレジストレーションを行っていただいています。なので、このVIPの進捗状況にあわせ、団体客のホテル到着をここで調整しているわけです。丘には、先遣隊の後輩も来ており、到着した私を見つけると、丘の上にある、カフェに案内してくれて、ここ数日の滞在で、覚えたのか、変なフランス語でウエイトレスに話しかけてにやにやしています。「何飲みますか?」と聞く彼に、炭酸入りのミネラルウォーターを自分で注文をし、彼はコーラを頼みました。この後輩は、なぜかアメリカを感じさせる男で、学生時代もアメリカで過ごしたといいます。彼は、運ばれたコーラを飲みながら、「概ね問題なく進んでいます  まあ、何が在ってもおかしくないのはいつもの通りですけどね・・」 と、報告ともつかない報告をした。「うん ありがとう、引き続きお願いするわ」と伝えた。「まあ、ここからは、一緒に汗かきましょうよ・・」と彼がいうのにうなずいた。          時間的にはもうとっくに夜と呼んでも良い時間帯なのに、未だ暮れ始めてもいない中世の街がそこに見えていたのです。

渡仏、最初の数日は、関係施設への訪問や、見学と言った公式行事が粛々と進み、私達チームもスムーズに業務をこなしていったわけです。連日、お天気にも恵まれ、滞在三日を経て、今回のメインである式典の日を迎えたのですが、この日、昼間に行われた式典では、要人挨拶、記念品の交換、など、和やか、且つスムーズ、きちんと式次第とうりに行われて終了しました。 驚いたのは、会場となった市庁舎前の広場、その石畳の道に要人が乗って来られた、サルーンがずらりと停まったのですが、どちらかと言えば、大衆的なイメージ強い、フランス車で、あれほど重厚な大型サルーンがあったことでした。それこそ、見た目はルノー25なのですが、なぜ、知っているそれとは違う、これには驚きましたね。同様にシトロエンもそう、なんかプレステージな車種がちゃんとあるわけです。

 一度ホテルに戻り、夜はガラパーティとなる予定です。
式典は、市市庁舎横の特設会場で予定通り行われて、要人挨拶と、感謝状や記念品の交換という流れで、1時間強の尺で、緊張感がより、式典に重厚さを与え、誰からも成功と評価できる内容で終わりました。後は、ガラだけ、半ば山は超えた、そう誰もが感じていました。ガラには、我々スタッフもゲスト同様に招待されており、クライアントをアテンドしつつ、我々も彼らのゲストという立ち位置となるそうです。
会場へは19:00 遅刻せずに到着
昼間式典をやった会場とほぼ同じ場所になります。
昼間のそれは、屋外で完結していましたが、ガラパーティは、市庁舎とのこと、なのですが、この市庁舎が、どうみても、もはや宮殿。それも、かなりの大宮殿なんです。我々が、昼間式典に参加したあの広場には、ゲストを迎えるステージが出来上がり、道家達が出迎えます。その道家たちは、様々な芸を披露するわけですが、そのなりや衣装、さらにダンスに来る出す大道芸やアクロバットは、プロ中のプロ、特筆に値する素晴らしいものです。 これを目にすれば、嫌が上にも興奮は高まります。会場には、椅子と小さなテーブル、そしてワゴンスタイルのバーがあり、そこでは、カクテルやスパークリングワイン、夏場を考慮して、アイスクリームまでもが提供されています。主催者側のゲストである現地の方々も、沢山お越しになっていて、この雰囲気の中で、実に自然に溶け込んでいて。正装の彼らが、バーカウンターからさりげなく飲み物を手に取り、エンターテーメントを眺め談笑する姿はまるで、映画の一場面の様でした。
我々、日本からのゲスト達も、彼らを見て、それに倣いはじめます。
日本のゲスト達も飲み物を手にして、それぞれのスペースに落ち着いたのを見計らい、エンターテーメントはさらなる高揚をみせていきます。    やがて、本当の見せ場に達すると、もう誰もが釘づけになっています。まさに演出の妙が光ります。
また、これが主催者とゲストたちだけのものではなく、市庁舎の周囲に集まる市民の皆様にもお楽しみいただける配慮がなされています。少し遠くにはなるもののきちんと見ることが出来るよう、導線、視線が啓さんされており、この広場一帯が、初夏の夕方、突如現れた祭りのような雰囲気につつまれていきました。

エンターメントは続いているものの、明らかに見せ場は過ぎ、時間が20時を超える頃、会場にアテンド役の方々がやって来て、それぞれのゲストを、宮殿の様な建物の中へと案内していきました。カーペットが敷かれた入り口から続く廊下を経て、豪華な広間、そう呼ぶべきスペースに通されました。豪華かつ、アンティークと解るシャンデリアに、価値の極めてありそうな調度品の数々、そんな真にガラと呼ぶにふさわしい空間でした。そこは、フリーシートになっていて、やはりここにもバーカウンターとカナッペやなどの、軽食が並ぶパフェレーンが用意されています。ここは、正餐の前に、お互いの懇親を深めるための時間と空間であることは、容易に理解できましたが、この時間と空間に我々スタッフは、共通の不安を覚えました。

間髪を入れず、現場のリーダーから、主要メンバーに招集がかかります。パーティー会場から離れた一角で集合したわけですが、そこで、リーダから出てきた言葉は、メンバーが共有していた不安、そのものでした。

※これ1990年代話なので今の日本とは少し違うかもしれません。

=懸念される問題と、実情=

■日本のゲストは、おそらくこのスタイルに付いていけないゲストは少なくない、退屈で、お腹が空いて、フラン語は勿論、英語でもコミュニケーションも出来ないからなおさらだ。もちろん通訳は配置されているけれど、それを通す、ほどの会話でもない、パーティでの差しさわりのないコミュニケーションは厳しいと思う。今この時が、限界で、この状況があと30分も続けば、流石に彼らからは声が上がる筈だ。

■一方で、この現在進行しているパーティーのスタイルは、こっちらでは当たり前の形のものであり、このスタイルを否定したり、早く晩餐会を開始して欲しいとは、このパーティに関する限りは、我々はゲストの立場なので、それは失礼にあたる。間違っても、そんな交渉はできる筈もない。

=採るべき対応=

①個々の参加者対応

先ず、我々がある程度出来上がっている、小グループに入り込み、現地の人達と、彼らを繋ぐ仕事をする。さらに、彼らに言われる前に、ヨーロッパのパーティスタイルは、今晩の様な流れになるので、私たちはゲストとして、ある程度、郷に入っては郷に従うしかない、ことを説明する。さらに、納得できない人には、我々からでは、角が立つので、お仲間の中で現地に明るい方からさりげなく言っていただく。

②日本側代表者への打診

我々の懸念を伝え、同時に我々の取る対応を説明したうえで、最終的に、帰りたいと言い出す人々の対応まで、説明をします。相談するというよりは、総ての方向性を決めて説明し、それでいい と言わせるような形です。他社扱いのゲストもいることから、対応を統一するか、我々のグループだけを限定しての事かだけを、代表に一任してします。

③結果

日本側の代表から、主催者側に、時間の変更等のお願いはしない、しかしながら日本人の習慣や、参加者の年齢などにより、一部のゲストが、日本人には経験の少ない、長い時間をかけて楽しむパーティにおいて、中途退席する非礼をあらかじめ、お許しいただきたいとのみ説明

お帰りになるゲストには、送迎を付ける、食事を採っていない場合は、代替えの夕食の手配をする。

これらがが決定したのです。

ちなみに、他社のゲストにも、同様の扱いが出されることになりました。

早速、我々は、団体付けの担当を集めて、対応を説明し、ゲスト対応にあたらせつつ、我々は、受け皿手配に奔走します。滞在先のホテルに連絡し、レストランの予約、何人が戻り何人が食べるかも解らない中での段取りです。しかしながら、回答は簡単でした。ホテルでは、この時間からダイニングの受け入れは不可能、さらにアメリカの様なコーヒショップ的なところはありません。ルームサービスも対応不能という事が解りました。いつくかに分かれたホテルも、皆同じ回答でした。では、ホテル以外のレストランを抑える? これには、、身内から意見が出ました。待たされて、嫌になり、帰るゲストに、市内の別のレストランを用意しても、お疲れの中で、正装している彼らに案内できるレストランがあるのか否か、さらに、あったとしても彼らがそれを望むか? という意見です。この時、既に9時を回っていました。ゲストが気になって、様子を見に戻ると、たちまち、何人かのスタッフが、飛んできます。彼らの報告では、説明をしたところ、問題なく楽しんでいると言ってくれた人と、一様に理解してくれた人が全体の7割、これ以上かかるなら帰りたいという方が2割、ご立腹の方が1割おられる、と言う報告です。

この報告を受けて腹を決めます。

お帰りになられたい方を、ホテルへご案内することとし、帰着後のお食事は、状況に応じて手配する。ホテルごとに、バス、そして一部はセダンで送迎。我々は、手分けして、ゲストより先にホテルへ向かい、ゲストを待ち受けます。到着したゲストは、直ぐに部屋にお入りいただき、必要に応じて食事の手配を請け負います。幸いなことに、カクテルパーティーのような、サロンで、お飲み物、軽食は用意されていたこともあり、食事を希望されるゲストは、ほぼ皆無でした。それでも、何もしないのでは、クライアント側からの指示もあるため、ある程度食事の確保に残ったスタッフが走ります。現地のコーディネーターとともに、夜の街に出て、デリやスパーを回りました。中々、思うようなクオリティのものは見つからないまでも、何とか、ゲストのお部屋にお届けできるレベルのお夜食を確保したのでした。そうこうして、ホテルに戻ったのは既に11時近く、すると、ホテルに連絡がはいり、さらに帰りたいという方が出てきて、2便目を出すというのです。この2便でお帰りの方をいれると、全体の半分のゲストがパーティから引き揚げたことになります。若いコーディネイターは、念のためと言って、今一度、食料調達に出ていきました。

私たちは、2便の到着を待ちます。

着いたゲストは、意外にもにこやかで、自室へと引き上げていきました。用意した、夜食は個別にお届けしましたが、1便同様、ほとんどの方が、食事の心配は無いとのことでした。

2便の皆様も落ち着かれた後、時間にして11:30頃 ガラパーティー会場からの連絡が入ります。どうやら、会場では、ようやく正餐での夕食会がはじまったと言います。ゲストの席は半分が空席、もし我々関係者で戻れる人間が居たら、来てほしいとの内容でした。早速、周囲のスタッフに共有したところ、傍にいたいた、もう一人の現地コーディネイターが口を開きました。

■いくらなんでも、晩餐会が23時過ぎは、イレギュラーだと思える。仮にこれが、予定どうりだと先方が主張されても、日本人の習慣や通例となるもおを、きちんと事前に情報共有はしている。それでも、この運びになつたのであれば、主催者側にも何らかの事情が在ったはずでで、説明さえすればゲストの多くが帰ったのは、非礼にはあたらないと確信している。

■ゲストの半数が帰った今、どう見ても関係者然とした我々が、のこのこ参加したところで、状況は変わらないどころか、逆に目立つ筈、ならば、今居る人間で完結してもらった方が、正しい。

我々は、このコーディネイターの意見を、そのまま具申したところ、その意見が採用されたわけです。一方で、学のために、スタッフが戻って参加することは問題なしとし、ガラパーティー最後、深夜の晩餐会を見ておきたいスタッフは、会場へと戻ったわけです。

結局、晩餐が終わったのは日付を跨いてから、かなり経ったあとでした。我々はゲストの帰着を待って、この日の業務をおえたのでした。

未明のホテルのロービー、ダークスーツの男たち。

そういえば、食事 していない、腹がへった みな、初めて自分の事を口にしました。

「大丈夫 食べ物のも飲み物も用意してあるますよ。」

そう言ったのは、デリ回りをしてくれていた、若いコーディネイター。

「スタッフルームで、明け方の晩飯食いましょう」

そこには、テーブルの上に、広げられた ピッツア ディープフライドチキン そして、シーザーズサラダ

なぜか、男しかいない、ダークスーツのメンバー達は、缶ビールで乾杯をして、誰の目にもアメリカンなピッツアを立ったまま頬張った。

「乾杯 大丈夫 未だ朝には時間があるから なぜって、フランスの日の出は遅いから」 

陽気な若いコーディネイターはそう言って笑った

フランスの地方都市、夜遅く、デリとスーパーを回り、集めた食品のうち、お客様に出せる、食べ物はもちろんお客様に提供し。アメリカンなピッツアは等、お客様には出しにくいものは、スタッフ(本人も含め)もお腹を空かせているだろうと、誰が食べても良い様に、買っておいてくれたもの。


この国と言えばこれだと私は思っています・・・・











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