シャニ5thライブday1とは何だったのか

5thライブお疲れ様でした。幸か不幸か、両日現地参加しました。
感情の整理も兼ねて文章としてまとめておきます。
ネタバレ成分が十分にあるのでご注意ください。

■セットリスト良かったね

演出の話の前に今回のセットリストというか構成がとても良かったという話はしておかなければならないでしょう。
これまでのシャニマスの周年ライブといえば「コピペセトリ」「新曲発表会」と揶揄されるような、事前に8割予想がつくようなセットリストでした。
しかし、4th後の「SETSUNA BEAT」と「MUGEN BEAT」では完全に予想のつかないセットリスト(と組み合わせ!)でパフォーマンスを披露し、プロデューサーの度肝を抜いてきました。
Day2でDay1と大幅にセットリストを変えてくるのもSETSUNA BEATからでした。
観客がライブに求めるポイントの一つとして「曲のイントロが流れた瞬間にどの曲が来るのかわかった瞬間の興奮」があると思っています。
人間、予想がついているとどうしても盛り上がりにかけてしまうところがあります。予想のつかないセットリストというのはかなり良い施策だったのではないでしょうか。
MCなしで一閃から始まりノンストップで各ユニット一周、MCは最小限に抑えて満を持して「バベルシティ・グレイス」。今回のセットリストは一味違うぞ!というのを感じられて非常に良かったです。

■演出の話

賛否両論あった演出の話です。
色々な意見を見てきたのですが、ライブに対して求めているものが違うことが要因となって評価が分かれているのではと推測しています。

①ライブは「ゲームの延長線のコミュである」=頭で楽しみたい
ライブもゲームの延長線のコミュ
として考えているパターン。
"If I 【lost】 wings."「もしプロデューサーがいなかったら(いなくなったら)」の話はシャニマスの「攻めた」コミュとしてどこかで実装されてもおかしくない話というのはよくわかります。
それが今回はゲーム外のライブとして構成され、ifの解散ライブとして披露されたという文脈であれば理解はできます。
エイプリルフールのコミュでもなければこんな話はゲーム内でできないでしょうし、じゃあライブの演出としてやりましょうとなるのもまああるかなと。
そう考えた場合、今回の演出は良いものだという意見もわからなくもないです。
②ライブは「曲とパフォーマンスを楽しむ場所である」=心で楽しみたい
ゲームからの文脈の一つとして、曲とパフォーマンスがメインで楽しむものと考えているパターン。私はこちらでした。
シャニマス楽曲を演者のダンス付きで、大音量で同じ気持ちを持っている他のプロデューサーと心を一つにして楽しめる唯一無二の場としてライブを捉えています。
曲とパフォーマンスを楽しもうとしているのに、しつこく何度も「これで終わり」を連呼されて不安で心をかき乱されてから曲を披露されても、それを心の底から楽しめるか、集中できるかと言われると私はNOと言わざるを得ませんでした。
大事な試験の前には十分に睡眠を取って万全な体制で準備するように、素晴らしいパフォーマンスを楽しむには十分な心の平穏が必要です。
「曲とパフォーマンスを楽しみたい」という視点では、今回の演出は受け入れ難いなという感想でした。
これを「浅い」だとか「幼稚だ」とか簡単に切り捨られると、それはちょっと寂しいですね。

■じゃあどうすればよかったの????

IFのルートを描くというコンセプト自体は僕も良いと思います。
問題は、「IFルートを描いたライブであることが十分に観客に伝わっていない」点にあったのではないでしょうか。
最初の社長のセリフの中に「こうならない世界も、あったのかもしれないな」とか「もし彼がいてくれたら」みたいな、今日はIFの世界ですよ!!!!!!と明確に示してくれる要素があれば心配せずに受け入れられたと思います。
施策として攻めた演出をするのはコンテンツの寿命のために重要なのは重々承知しており、その姿勢自体は批判するべきではありません。
ただ、その攻め方が今回は良くなかったのではないでしょうか。
ライブはその場の感情が重要です(と私は考えています)。
「万全な状態で、何も不安なくパフォーマンスを楽しみたい」という考えを否定してほしくないな、というのがこの記事で伝えたいことでした。

■あとがき

Day2は不満なく最高でした。それだけは真実を伝えたかった。

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