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4月はまだ揺らいでいる ―入野自由【April】を聴いて

2021年9月22日に配信された入野自由の新曲は何かが違った。爽やかで優しくて包み込むようなメロディが流れる3分36秒間。とても良い曲でうっとりすると同時にその心地良さ以上の強い衝撃が私の胸を突いてきた。

そもそも9月に歌う4月の曲。
なんでこのタイミングで4月だっんだろう?

そして発表から迎えた初めての4月。
2022年4月に聴くAprilはまだ揺らいるように感じた。

入野自由【April
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4月らしさのないApril

Aprilを歌う入野自由くんを勝手に想像してみる。

木漏れ日が差し込む出窓でギターをつまびきながら鼻歌を歌うような感じで「ただ風に〜」と歌い出す姿。隣には使い込んだアップライトピアノがあってその近くにはまだ暖かいコーヒーが注がれたマグがある。日常風景。

曲を通して聞くと4月にリンクする言葉がまったく浮かばないのだ。桜、始まり、別れ、希望、、、どれもこの曲からはにおってこない。大々的にAprilと題したこの曲には4月らしさがないのだ。

これまでの4月を思い返すと2020年は得体の知れない驚異に怯え、みんなが閉じこもり身を守っていた。2021年の4月は1年つづいた自粛ムードに疲弊と先への不安が点在していた。コロナ前から考えたらこんな生活なんてとても「日常」とは呼べなかったのに、2年経ってそれを「日常」として受け入れている。過ぎた2回の4月を思い出しながら、半年後に来る次の4月(2022年)を思って綴った曲だと思うと【April】はアーティスト入野自由が抱えている想いを呼吸をするかのように自然な形で歌った曲なんだと思ってしまう。

キミに向かって歌わない

楽曲の歌詞を辿るとそこには登場人物が出てくることが多い。

キミとボクがいる。
ボクからキミへの応援。
キミのことが好きなこの気持ち。

さきほど入野自由のうちなる想いを自然な形で綴ったようだと書いたが、そう思う理由の1つがこの曲には登場人物が存在しないところだ。

少し話が逸れるが私は応援歌やメッセージソングが得意じゃない。初見ではパワーを貰ったりするが、それが続くと「もうわかってるってば!」と反抗期の子供のような反応をしてしまう。

過度に干渉しない。
淡々と歌う人が「こうしようと思う」という声だけが伝わってくるのが【April】の特徴だと思う。そしてだからこそ、聞きやすいのだと思う。


軋んだ音がした「求めて求められて生きていく僕らは」のフレーズ

ここまで心地良さについて話してきたが、それだけで終わらないのがこの楽曲の魅力だ。初めて聞いたあと心臓を雑巾を固絞りした時のような痛みが残った。

求めて求められて生きていく僕らは
悩みながらも肯定していく
入野自由 【April】歌詞

コロナ禍で一番苦しいことはなんだろうと思った時、実は自分が愛して応援しているエンタメが止まってしまったことではなかった。苦しかったのは自分の仕事の先が見えないことだった。エンタメ業界に身を置いているため、自分の商売が不要不急に分類され打撃を食らった。テレビで日夜流れていた事は他人事ではなかったのだ。表舞台に立たなくてもこの仕事は求められてナンボ。さらに言うと作品がなければ私の存在意義はゼロだ。

自分で選んだ自分の仕事。この生き方を選んだことに後悔はないけれど、この2年間だけでなくこの先の不安は大きい。お先真っ暗という言葉を身をもって体験したし、今もそれは現在進行形だ。

だからこんな時に手を取り合って、前を向いて、なんてメッセージは私には引っかからなかった。

揺らいでもいい

この楽曲で繰り返し出てくるのが揺らぐというワード。

風に揺られ
揺らぐ煙
揺らぐカーテン

風に揺られても煙もカーテンもその流れに抵抗しようという感じはない。見に任せて、流れに乗っている。そんなふうに揺らぐという言葉を使っているところが好きだ。

先程出した歌詞の「肯定」って聞くとつい自己肯定力をあげた方がいい!というようなビジネス本のような説教臭さが浮かぶ。だけど入野自由がこのメロディに乗せて歌う肯定にはそれがない。そしてだからこそいい。


大変な時代だし、変わってゆく悩みも、変わらぬ悩みもたくさんある。だけど揺らぐ4月があったっていいんじゃない?そう思えた時の心の軽さは4月の日差しの心地良さそのものだった。


9月に4月を歌う彼。
そんな彼は来年の4月にはどうやって世界を見ているのだろうか?

入野自由のインスタを眺めながら思いを馳せている。

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