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スパークした先 Hedwig and the Angry Inch 感想文



なんなんだこの感覚!!!

終わった瞬間、毛細血管の奥から痺れのような未だかつて感じたことの無い、言葉にできない「何か」が体内を時速200キロで駆け巡った。

気づいたらほっぺが濡れていて、泣いた記憶がまったくない自分はこの状態に一人困惑していた。トイレでマスクをとったら頬のあたりが湿っていて薄く乗せていたはずのチークがベトッと付いていた。

まるでヘドウィグがトミーに向かって投げたデスマスク(タオル)のように。




※これはヘドウィグを初めて見た人間の感想です。
※ネタバレ注意


ヘドウィグを今、一言で表せと言われたら私はスパークだ、と答えるだろう。

SPARK [スパーク]
花火、閃光、電光石火、きらめき、ひらめき、才気、活気


私の心に着火したのは間違いなくヘドウィグの生き様のスパークだった。


もう愛が止まらない。
映画版は学生時代に見たものの、当時は作品のテーマがピンと来てなくて斬新な映像を前に「凄かった」という漠然とした印象のみ。そんな私が今回、足を運ぶきっかけをくれたのがヘドウィグ役の丸山隆平さんだった。

せっかく行くのならめいいっぱい楽しまねばと思い立ち、公開当時の映画パンフ、クライテリオン版のBlu-Ray、あとはYouTubeにあるアメリカのヘドヘッドさんたちの語り動画を見ていた。特にクライテリオンのBlu-Rayは数本ドキュメンタリー番組が収録されていて、John Cameron Mitchellをはじめとしたスタッフたちの想いが詰まっていて大満足だった。この時点でまだ舞台を見てもいないのに、この作品の奥深さに引き込まれていた。(さらに今日1999年の舞台スクリプトを手に入れた)

今風に言うなら、これはまだまだ沼の入口。

ここまで私のオタク心を掴んだ2022年のヘドウィグ。かなにがこんなにも凄かったんだろう?

舞台から帰ってきて数日が経ったけど今もヘドウィグ熱にかかったままだ。

なのでここでは私なりにすごかったと思ったところを乱暴に書き出してみた。


※以前の日本版舞台を見た訳では無いので比較ではなく、私が「すごい!」って思ったところ。


・表情

ヘドウィグは傲慢で気性が荒く、表情がクルクル変わるのが可愛らしいなと映画で思っていた。ドラァグクイーン特有のあの極細の黒眉をキュイと上げたり、ぽってりとリップを塗った唇を大きく歪ませたり、左右に大きく動かす視線だったり。ヘドウィグなんて絶対リアルにいたら嫌いになりそうなくらいなビッチなのに、チャーミングさを感じてしまう。

丸山ヘドウィグはまさにそのチャームが表情から溢れ出ていて、見ていたらついて行きたくなってしまう。そりゃ年の離れたトミーも思わず引き寄せられる訳だ、と納得。

そう、丸山ヘドウィグの表情にはそうやってヘドウィグがヘドウィグたらしめる説得力を表情で魅せていた。

・英語の美しさ

丸山ヘドウィグ、英語の音が美しい!!!

これは個人的な事だけど、ヘドウィグに限らずブロードウェイミュージカルを日本語詞でやるのが私にはしっくり来ず、特に好きな作品であればあるほどイメージを崩したくなくて避けていた。実はヘドウィグの発表があってからどっちでやるんだろう?と期待と不安で初日を待っていた。(どっちになってもヘドウィグは私は同じように楽しんでいたと今になっても思うけど)

アメリカの歌は文末の単語が韻を踏むから音符に言葉を乗せる時のやり方が日本語とは大きく違う…と関ジャムでも言っていたように、意味だけでなくその音にハマる訳詞を生み出すのはかなり難しい。私も現役翻訳通訳の端くれとして、翻訳の方々に拍手を送りたくなる。ちなみに映画版の字幕翻訳をされた方はパンフで「ヘドウィグならぬヘッドエイク(頭痛)で悩まされた」って言っていたくらいだ。

私が特に美しいた思ったのがMidnight Radioの冒頭。

この曲の歌詞は

Rain 
Falls 
Hard

と3つの単語が並んでいるだけ。文章になれば音を繋げてそれっぽく聞かせることも出来るんだけど(関ジャニ∞の町中華の発音みたいに、ね)、単語は誤魔化しが効かない。この音がとにかく英語として聞いたとき美しかった!

しかもクライマックスのあの感情の昂りの中で歌うこの曲。英語にしっかりStephen Traskが込めた感情も乗っていて惹き込まれた。

丸山さんって本当に言葉に対する音感がいいんだと思う。言葉の絶対音感って言えばいいのかな?その勘がいいからポーンと気持ちよく発音を当てることができるんだと思う。すごい。

・切り替え

映画ではヘドウィグとトミーは別々の人が演じているけど、舞台はヘドウィグが自分のショーで語るという構成。だからトミーとヘドウィグは両方丸山さんが演じている。

過去を振り返る時の彼らの会話ももちろん丸山ヘドウィグが1人で演じる。それはまるで声優のキャラクターの瞬時の切り替えのようで…職人芸を見ているかのような見事なものだった。

中でもラスト、2人が対峙するときの切り替えには息を飲んだ。同じ格好なのに、メイクも姿も同じなのに。あの瞬間舞台には確実にヘドウィグとトミーの2人がスポットライトを浴びて立っていた。

・イツハクの存在感

映画以上の存在感を見せたのがさとうほなみさんのイツハク!

出すぎす、引きすぎず…すごく良いバランスで不安定な丸山ヘドウィグとの夫婦を演じていた。ヘドウィグに振り回されつつも、そこに縋るしかない一面がセリフなしでも伝わってきて。そのサイズ感もあって、抱きしめたくなる。

大変失礼ながらあまりゲスの極み乙女さんの音楽を聞いたことがないうえに、彼女がドラム担当のため歌のイメージが無かったんだけど、めっちゃ上手い!
ホイットニー・ヒューストンのAlways Love Youをあのクライマックスの高音からとてつもない音圧でスカーーーーっと決めた瞬間、惚れた。

これは私の想像に過ぎないのだけど、関ジャニ∞でベースを弾く丸山さんとゲスの極み乙女でドラムを叩くさとうほなみさん。リズム隊だからこその押し合い&引き合いの加減が絶妙だった。

・いつかJCMに聞いてみたいこと

それはなんで丸山ヘドウィグにベースをひかせたのか?

ずっと刺激的だったヘドウィグのストーリー。その中でも1番ビックリしたのがクライマックスで丸山ヘドウィグがベースを肩にかけて登場したこと。ここは歴代ヘドウィグは(韓国とかはわからないけど…)パンツ一丁のありのままの姿で出てくるところだ。カタワレ探しの中でもキーポイントとなる場面。

おそらくここで自分で演奏したのは世界中見ても丸山ヘドウィグだけじゃないかな?

なにが丸山ファンとして嬉しかったって、この「ありのままの自分」を見つけた場面でベースを持ってきたこと。ここは舞台上だから丸山さんのパーソナリティが出ちゃいけないのかもしれないけれど、関ジャニ∞の丸山隆平のありのままの姿のひとつこそベースなのだと静かに歌っているようにも見えた。



本当にすごい舞台だった。


昼公演終わって、落ち着いてカフェでコーヒーを飲んだ時自分自身もなんとなく何かから開放されたような、そんな爽快感に包まれた。

これは救いにも似ているような気がする。

ヘドウィグについてはこれからももっと読んで、いつか私の人生におけるカタワレと言えるような作品になるまで愛していきたい。

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