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想定と違う顕れ

昨日の記事の、

湧いているものをなくしてしまう、という選択でなく「使う」という選択。

という所辺りで”別の世界”、”別の線”が視えている、という事をポツポツ書いていきます。

その”言葉”を書いている時というのは、同時にそれがアタマにイメージされていたり、逆にその言葉が入り口となって、そこから視える世界「別の世界」へ繋がっていたりするもの。


不思議な事を書いているのではなくて、それは脳のハタラキ方のイメージとして重ねて視ている。そして、太字の文言を書きながらサッと浮かぶそれらを軽く認識に上げて掴むに留めた。

かつては、脳の流れるままに書いていた事もあるけども、”今回は具体的な路線のままで”と自分の意思を決めたので、”認識に上げる”で少し引っ掛けておくに留まった…、結局完全に”具体的”に降りることが思ったほどできなかったという結果になった訳だけど(笑)

それは「どちらかに」しっかり意識を集中して入って行ってしまうと、選ばれなかった方の”情報”は、少なくともその時点では「陰」になる。この”認識に上げて”という過程は、”一旦そうして置けば大体は憶えていられるだろう”という感覚があってそうしているのだけど、(現在の私に於いては)本当に当てにならない。ただ今回は後でメモしても「こんなもんかな」という浮かんだ殆どのものは書けた。


⦅その時のメモ⦆

線(別世界)
● 死への線と生への線と ●

・「生」への意識が高まっている状態がまず視えて、「そこ」という部分が変わったから、”その方向”での展開が開けてくる。

・具体的な次元では、”アレコレ”が多く、できるだけ二極的な判断によって処理する事が、この世界では利口でもある。

・なぜ「別世界が視えるか」は、上・下に脳内が揺らいでいるから(もちろん、”そんな感じ”というもの、イメージ)。次元を上げ下げしている状態があるから、”私”という自覚を持つこの私はそれを拾い、言葉までもってくる(言葉へもっていく)。


と書いてあるのだけども。

これもサッと視えた事、この時は映像より”文字”そのもので読んだ感じ。つまり、その状態を表す文字がパッと浮かんだ、というもの。実際に浮かんだのは「死の矢印と生の矢印」。どちらも同じ方向を向いている質違いのモノと、方向が⇆な感じのモノと。

浮かんだのは「生きる」という事への強さ、みたいなもので、それをベースに”その周辺のコト”が集まって来て(視え)、それ以降のメモという文字への変換になっている。


湧き出ているものは、長い時間のたくさんの情報ではない。ほんの短い時間の、その”何か他の事”の行いの最中にそこからうっすらと繋がれたものをそこに視る、というような淡いもの。

そんなやんわりしたモノから、私たちは表で表現する為にこの言語を使って現わしていく。

これの同様の感覚が「夢」。

「何か見たんだけど、思い出そうとすると”引っ込んじゃう”」という事は、私だけでなく、誰でも経験したことがあると思う。

私の場合は、それを”力”で引き出そうとすると、大抵が引き出せなかった経験があるので、力は抜いてしまい、”ホワ~ン”とした状態を作る事が殆ど。

それによって引き出すことができなければ、(少なくとも)今に重要じゃない、という判断をしてきた・・・、心情的には「あ~勿体ない(*´з`)」という思いがある事は、以前にも触れた通り(笑)


”こちら側”に持ってくる事ができなかっただけで、「何かあった」事は確かであって、その感触はあるから”勿体ない”という感想になる。そのどこかの陰に隠れた情報は、何かこの自分が「ハッ」とするような、普段の自分からでは生み出せない様なソレという事が分かるから、なんだと思う。

自分の中にある、隠された沢山の情報。

それは、私たちが目覚めてこうしてしっかり意識がある状態では、「通常つながれない、”繫ぎ方”」がなされるから。

その組み合わせ方、混ざり方とでもいうソレが、とても新鮮で斬新だったりで、覚醒している私たちの意識状態では、自然にはなされないこと。

いや、それは背後ではいつもなされていて、ただ覚醒中はこの私達の表の意識がそれをコントロールしてしまうので、「隠れた(隠された)状態になってしまう…」と表現してもいい(*^^*)

様々なモノが、どちらからともなく影響し合っていると感じた。

※揺れているのは上・下ではないかもしれないからね。左右でもいいんだもの。”次元”という言葉を使うから紐づくように”上下”が選択肢に表れているのだと思う。

・・・

この流れに入った、昨日の文言のその少し前の文章の塊をパッと読んだ。

書いては難しい、書いては難しい…と自ら何度も揺らしている状態。脳内で「揺れている」んだよね(*^^*)

進行方向へ「書く」という事を行いながらも、その中身は内容的にストップをかけるようなものになっていたりと、矢印が進んだりストップしたり、”難しい”として、それを逆に向けるような”状態”が想像される。

自分に”催眠”がかかるような雰囲気を感じる。


そうすると、通常の物事をこなす時のアタマの状態は緩まり、幾らか普段は隠れた状態にあるものが引き出されやすい環境はあったかもしれない、と想像。

この文言が付けられるのは、今だからであって、書いている時にはそれに気づいていない。この記事を書く為にその少し前の塊を読んだ時に、パッと見て”酔う”感じを少し拾ったものだから。

はい、ここまで散々書いてきて、昨日書いていた「なぜ”別の線”が視えるか」という想定していたことは、何ひとつ触れずに別の扉から、「なぜ”別の線”が視えるか」を説明する事ができました(*^^*)

思っている事(やろうとしている事)と、その”陰”に隠れてスタンバっているコトと。

”私”が表そうとしたカタチでなくて、違うカタチが結果的に顕れるという事もあるんだと、書いていて思いました。

”想定していたこと”は、別の機会に。


追)

音声note、いつもの時間になっていなくてごめんなさいね。

昨日、音声noteを上げているのだけども、予約セット前に間違えて一度upしてしまい、下書きに戻していつもの時間に”予約”のセットし直しをしました。

それでも一度上げた時間にupされる機能のようで、これで2度目なので、私の操作の反映の認識を修正しなければ(笑)

(現時点では)一度上げた時間は保持されていて、予約セットをしても
表示が表から一旦隠れるだけで、予約時間になったら保持された時間を持って”再表示”される(?)ため、朝のラインに乗ってきていない。

分かっていたけどアナウンスしなかったのは、音声の内容が雑談だから(笑)

わざわざ聴いてくれた方!

いつもありがとうございます(*^^*)

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!