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自分が受信機

9/15メモ

もしさ。
もしもだよ。

この世に姿形を変えて現れ続けている、とすればね。

いや。もしなんて言わなくても、そんなモノばかりだと思うんだねぇ…。

私はどちらかの宗教の信者ではないから(一般的意味からの)、外から見た範囲で書くのだけども。

例えば、宗教という塊がなくなったとしても、私たちは”個”側の在り方が変わっていなければ、この形態はあちこちに点在しているのだから、関係は変わらないと思っていて。


そうしてその様な形で人間関係がなされなければならないのか…、なんて話は、心の話で出来るだろうけど、その理解を求めて指導を仰ぐそこにも、その関係性がしっかりと維持されている事も非常に多く、結局、形が変わっているだけ。

そんな事ばかりで殆どの世界が占められている事に、私は昔から嫌気がさしているけども、でも、「人」というものを観た時、その弱い一面を持つのも人という存在であって…、と考えると、そこは別の思いに変わったりする。


まったく賛成などしない。

だけどその様な事をしてしまうのもやっぱり、人なんだと思うと、ここで吸収される何かがある。

この弾が腹にあるから、また飛び出していけるんだ、きっと。

・・・

人が、この口で「言いたい事」など、本当に沢山あると思っている。私も人の感情があるので、そのゾーンに入ってしまえば思いはポンポンでてくる。

そして、上記のように”依存する人”のことが書けるのは、しっかり自分もその道に浸かってきたからであって、気づくたびに自分の中の傾きを修正して正す。その様にして自分がきちんと”立つ”ようにやってきている訳だけども、私の行いはそうだったと、記す事はできるのだけども…。

先日少し触れたけども、私は「自分と世の中(世間的)は違う」という基準を大まかに自分の中に持っているので、他者のそれを「そういう状態」と押さえる事(把握の意味)は出来るけども、自分として”立つ”という事が正しいかどうかは、「別」と思っている、自分はするけども、という話。


こういう状態だよね、人の思いと論理的なゾーンとの行き来は。

みんなが自分と同じ考えであれば、すごく簡単だし、何よりこの自分が葛藤やモヤモヤを起こさずに済む。自分の「思い通り」になると心が軽くなるから、そこから解消されるから。

で、これが完全にどちらかに傾き切ってしまえばそれは”その中”にいるので葛藤も何もないね、「自分/世間」のどちらかに入っている状態。

そして本当はこれも、この「自分」が無自覚に決めた状態でどちらかに偏った在り方をしている訳で、隠れた依存は、どこまでも”自分”に対してという風にも一面からは言えるのかもしれない。


自分に対して十分に”依存”していなければ、この自分から外れてしまう。外部で起きているように感じる”摩擦”は、実はやはり自分の心の中でのざわつきでしかない、と、この自分を通す限りそうだろうと、私は考えている。

最後のこの部分、ちょっと扉を変えます。
(言ってるコトは、同じです)

・・・ ・・・ ・・・

つい数日前のこと。

我が家の現在の長男犬、ライトくん10才♂の様子に、私は本当に心が苦しくなった。

こちらは様子(体調)を観ながら、でも距離をとってサンルームに独りでいたがるライトを、何度もこっそり覗きに行った。

いつもの様に晩のご飯の後に与えたおやつ。その時はいつものガムと砂肝だった。噛むことも得意なライト、皆にもいつもの様に万能ばさみで適当な大きさに切って与えていた。


終わってから食事の用意で台所に立っていた。

そこからふと目線を向けると、ライトがピタッと前方に座っている背中が見えた。

(なんだ、どこがどうした…?)

ライトのこの”座る状態”は、お腹の中などが普通でない時にするもので、すぐに寄ってみた。1~2度吐くような仕草をするもその後はとにかく落ち着きなく歩き回り、ジッとしていなかった。


何か詰まったか。
それ位しか見当がつかなかった。

その後は少し落ち着いて来るも、まだいつもと違う事は分かっていて、でも今はどうする事も出来ずにただ様子を観ることだけだった。

パピーの頃からかなりのデリケートな子で、少し何かあると、非常に大人しくなる子でもあって。近くにいたいけど独りでいることが落ち着くならそのままの方が良くて…、こっそり様子伺いのくり返しだった。

その時の心の苦しいこと(苦笑)


鎮静するような香りを側においておいたり、急変などに備えて本当に気を揉んだ。

『いやぁ…、苦しいね。な~んも出来ないんだよ…』

主人に言った。

ライトのその状態を解放してあげたい、と思うのは当然なのだけど、その時何より「この自分の心を解放したいんだろう?」そんな思いも湧いてきた。

だって、本犬も苦しいことは分かるのだけど、それを抱えているこの状態に耐えている事が非常に苦しい、と感じたものだから。


翌日、食欲が落ちたのもあって念のために絶食。何度か目にした”祈りのポーズ”があったので、ワン達用に用意していた肉の茹で汁を、日中は牛乳に砂糖と塩を少し混ぜたものをシリンジで与えた。

その夜は落ち着いて眠っていたようで、更に翌朝には空腹なようでしっかりと意欲的に食事をとる姿を見てやっと安心できた(食事量は少な目で用意)。

いつもの行いが急にいつもでなくなる、しっかりと”シニア”であることも念頭に置かないといけない、と強く意識した時だった。

・・・ ・・・ ・・・

痛いのとか、苦しいのとかって、イヤです。当たり前だけど。

私は、”痛い”映像を目にすると、身体がビクッと一瞬緊張し、縮こまるような感覚があって、怖くて目を背ける事があります。ドキッとするという事もあるかもしれない。この私が「痛い」わけではないのに。

外の事を”ココ”で、感じてしまう。だからこの様な表現になるのかもしれない。現に主人には、”その様にみえない(感じない)”という違いがあったりするので(笑)

人が、何を自分の事のように感じて、何を何とも思わない、かは、それぞれの事だし、何かに対してだけ敏感に反応するその”元”というのは、
やっぱりこの身体・脳の中にあるのだと思っている。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!