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『パターンC』

今回のものは、会話を主に書くとかなりの歯抜けになるので、実際の会話と、要約で埋めるように書いていきます。そして緩やか~に、主人は自分のココロに辿り着いたと言えます。


「あれ、視たよ。オレなりに考えてみたけど…。この手がこうなる事によって得られる事って言ったら”仕事をしなくて済む”だけど、出来ちゃうから、、違うかなぁ」

「そうだよね。私もこの間、身体の事をそんな風に書いたばかり。無理は出来ないけど、でもやらなくちゃしょうがないからゆっくり、時間かけて、(やる事を)一つ一つ潰していったね(*^^*)」

会話自体は連続してなくて、飛び飛びの色んな話が入り混じって。脇道に逸れたりしながらまた戻ったりして。


主人が動画ではこう言ってた、というものの、私がその内容を把握していないから”説明”を聞きながら、そして別の「似たような内容の記事」の考え方とを併せて捉えていた。

私は個人的には、『目の前の事は自分が起こしている』という考え方が好きでないのでスルーするのだけども、これは主人の事であって、そういう考え方の理解はしているので、それに合わせた話になっていた。


「私が思うのは、そうなれば『心配』してもらえるよね?”私に”って事だね、今で言うと」

「それはある(^-^)」

かなり素直に認めている。

「この間もちょうど、そんな話になったじゃない、そういう事だよね?」

ちょうどその数日前、主人が子供の頃に寝込んだ話をしていて、作ってもらった玉子入りお粥の”玉子”がダメで、ムリして食べた、という話が出ていた。シンプルな塩のが良かった…と。

その時私は、「なに、病気の時までお母さんに遠慮してたの…(。´・ω・)」と相変わらずの”お母さんエピソードを耳にしていた。


お母さんが「これが良いだろう」、と思って入れてくれる玉子が、嫌だと言えなかった…『怒られるから』という事にいつも結びつく。”これが良いだろう”と思えるのは大人の主人であって、「その時の自分はそうは思っていなかったでしょう?優しくして欲しかったでしょうに?」と振ってみる。


「うん、テレビで病気になると、”メロン”が出てきて、”あ~、いいなぁ~”っていつも思ってた、メロン食べられないけど(笑)そういう風にしてもらえるんだって…」

「そうだよね、そうして欲しかったんだよね、お母さんに。だけどしてもらえなかったから…、私に付け替える?」

「だって当たり前だけど、今オレがお母さんにそうして欲しいとは全く思わない。みかしかいないんだから。だからみかがオレに優しくしてくれればいいんじゃないの?」


「ううーん、しないよ。それは私にじゃないからね。同じだよ、この間のお父さんの夢と。『そうして欲しかった』という消化されない事がずっと残ってるという事だから(*^^*)」

主人はそれ以上言ってくる事もしなかったけど、ついこの間体験したばかりの感覚は解るはずだからやり易いだろう、と思った。そして内心、「凄いなぁ、こうやってソコへ行くんだ…」と過去の思いを昇華させていくという流れにいる事を感じていた。

・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・

昔と向き合い方が全然違う主人。

今でもそんな事と”向き合おう”としてやっている訳じゃない。少なくとも真剣に取り組むという様なスタンスではない事は確か。だけどきちんとその方向へ行っている、自然と。

自然な流れで行っているから、抵抗が少なく、抜けるのもやんわりとするように感じる。私がただそう感じるだけだけども(笑)

「自分が”そういう状態なんだ”、としっかり知る事が先ね。その先に”私が優しくする”が来るかもしれない。私がソレを先に埋める事はないからね(*^^*)」

そんな話で会話は終わり、また経過を観ていく事になるんだろうと、ゆっくり、楽しみにしている。


「コース変更」から何本かに話が拡がって、書いてきました。

Facebookでも触れた通り、”コース変更”というもので括られた、フォーカスした、状態から見る事で「分かれた」という印象が出てきている様に感じました。

焦点を当てなければ、そこを括らなければ、それらは全て流れるフィルム。メモではその事を書いています。

6/11メモ

流れゆくシーン

一瞬一瞬の、連続フィルム。

捉えた瞬間のみが当たっているスポットライト、

その刹那。


時間が経つほどに、どんどん継ぎ足され捉え方は増えていく『パターン』。

このパターンに入ってしまっている状態を軽いフローの様な感じ、とも後になっては言える。その中にハマってしまっているから。

それが段々と薄れていくように、思考がしっかりと立ってくるというか、自然と離れる…、固まった中にいたな、と。


湧いていたメモは”刹那”と捉えていても、こうして書き出してしまえばそれはもう、「一瞬」と表現しても長すぎる程のストーリーになってしまう。

その間に、”刹那”はどれ程過ぎたことか。

そんな、取り返すことなど到底出来ないモノを、”アホだな”という自分と共に見つめながら、『5月の振り返り』を終えたいと思います。

(これ、無料マガジンに整理します)


追)後で観れば観るほど、”経過”をただ拾ったに過ぎない、という解釈に変わる。

これが少し前に触れた、『書いているうちに”現実目線”になる』という事と同様の感覚になります。”コース変更”からフォーカスが離れて行った証拠。

カタチはコース変更を残しつつ、いつもの”日常”を綴った、という感想さえ書き終えた今は感じる事ができます。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!