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意識によって情報を集める

記憶から情報を引き出せない時、人はとても無力。
無力は表現だけども、そんな手も足も出ない状態があるよね。


【―――、見る事によって意識されるから変化を実感する…すると内側が慌ただしくなる。】

一昨日のnote内で書いたこれは。
脳内が忙しくなる、激しく繋がることからだね。

「無意識とは身体」というのはそういう事だと、今思い出す。現時点でこれ一つだけとは思わないけども、「それは言える」という事は、この数日のことから分かる。というより、その流れから引き出されている。

身体はいつも外界と接している。それは変わりない(=世界はいつも変わりなく”変わっている”)。それが頭の中に何か意味が見出せた時に(=自分の中の何かと結ばれた時)、そこにその世界は顕れ、露わとなる(=意識される)。

この連なり・繋がりがない時は、そこに世界は見えず、目の前にあっても”ない”世界となる。

世界は”自分”の顕れ。

(メモより)


目の前のソレを見ていない、と思った。

例の電子レンジの扉に映ったそれの事を思い出すと、今となってはもう、その時どういう経緯で「サプリの袋だ」と分かったのか思い出せなかったのだけど(笑)、目の前のそれから直に情報を引き出せない時、そこまでの流れを”思い返して”、「あ~そうか、サプリの袋をそこに置いたんだ」というように、情報の入手の仕方を変えているものだから。

直近の記憶、いつも見ないそれが何かそこに映っている事実はあり、だけどそれだけでは分からずに、自分の行動を遡って”そこに置いた”という事実を引き出してきた。そしてその情報と”一致するもの”、扉に映る明るい赤みがかったピンクのような色の一致を、”ソレ”と特定し「分かった」とした。

目の前の「観察していること」というのは、この頭の中の既にあるデータと、僅かでもその欠片があれば”一致”にする可能性もあるという事が言えるのだと思う。

もちろん、誤りとなるノイズの少ない状態がこの背景を無言で支えているとは言えて、だからこれがとても複雑に、もっと多様に情報が絡むようなものであれば、脳には余計に難しくなるだろうと思う。それをどちらかに”傾ける”ことが出来るのは人のこころ、「思い」だと、私は思っている。

この”こころ”を、どちらか、何かに傾けた時、事象はそれに動き出す。

(こんな所かな…)

・・・ ・・・ ・・・

「自分」というこの存在の、パーツを少しずつ見せてもらっている様に感じていた。

意識して動かすことなど殆どないこの身体。強く意識を移してしまえば、機能との折り合いは悪いことも多く、よっぽど意識を向けない方が”機能的に自然”ということは様々な事から理解されている。

それでも意識的に、少しでも近づいてみたいという静かな願望で近づく。

どちらが先などは、現時点で私には分からないけども、身体に意識を向けることなく動くことが多いから、それ以外の繋がりが頭の中でまだ”未開拓”なだけで、この”動き”に、遅ればせながら意識を向けて行き、その把握を少しずつ増やすことで、ジャマにならない様に近づけるんじゃないか…、そんな理想を抱く。

身体から行われている”出力”=動作、それを受けて認識する”入力”=私。どれだけスムーズに一連が滞りなく動いていようとも、流れは瞬間ではない。その流れにある時、そこにこの「私」はいなくなる。


昨朝、出勤前の主人がおもしろい話をしてきた。

「よくある、(犬の)飼い主はその子を見て、自分の飼い犬と分かるか…、みたいなのってあるじゃん?オレはピースだけはなんか…、自信ないんだよねぇ…(;´・ω・)」

そもそも、この言葉自体を、一瞬不思議に思った。「え?ピース?あなたが一番に可愛がっている子なのに?」と。

触ったり何もしないで「見る」だけで、オレは分かる気がしない…と言った。

『”一番、可愛がっている”、それだからだよ(*^^*) いつもそのピースの中に入って可愛がってる…、この子の容姿、外側をいつもあまり見ることなく透過してるんでしょ(笑)』

末っ子のピースを一番に可愛がっている主人。この子が主人に寄って行くという事もあるから余計に可愛くて仕方なく、かなり心を入れているのがとても分かりやすい。”幼き自分”を重ねている所も、もしかしたら名残としてあるかもしれない。

「あ~、、そうか。。こんなに可愛がってるのに、何で分からないと思うのかが、分かんなかったんだよね…(^-^;」

『私はみんな可愛いし、同じように見るから。内だけじゃなく”外側”も(笑)』

主人も勿論、みんなのことを”かわいい”と言って接しているけども、自分の心を相手のどこにつなげているか、という事が”見ている所”となるのだと思う。主人のこの短いエピソードが、私の考えを引き出してくれた。

・・・

なぜ私が、コトバを好きなのかと言えば…
それは私を連れ出すものだからかもしれない。

そのコトバにつられて、私が開くことができるから…

そうかもしれないと思った。虫たちが良い香りへ寄せられるのと同じように、そのヒビキに私の中が反応する。

4/22のlineメモ。
ここで意識が軽く立ち上がっているから、「私の考えを引き出してくれた」という表現が生まれる。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!