感じることの表現
散歩の終わったワン達の手入れをしていて思っていた事。
汚れる足も違うし、汚れる場所も違かったりする…。
姿勢、足の捌き方をそこに感じる。
その”姿勢”に、身体の動かし方は付いている。
連携しているなら、身体の動かし方で、今までの姿勢は変わる。
そうだろうな…と。
同じ機能を持っていながら、身体の使い方はけっこう個に依存している。それは環境から自然に身に付いてしまうものは多い。
で、少し現実的な話を今日は書いていくのだけども。
その「個」の使い方は、嫌なら直してしまえば良いと思う。また逆にそれは社会の中に出し切ってしまっても良いわけで。現在までにその様にみえいたた「眩しくて仕方ない他者の機能の顕れ」と同じ様に自分のソレを社会の中に位置してしまえばよい、という話。
更地にその土壌を作って行くことはとても大変なことで、だから素地がある所に乗っかっていく事が私たちは多いわけで。またそれを自分の中で色々と組み合わせて”出す”から、「オリジナル」になっていく訳で。
根っからの原型ではないよね。そういうものってもう既に”ないじゃん”と、私は今は思っている。それは昔からずっとあるものの化学反応にしかならない。だけどそれが人の工夫できる事で、そういう生き方を私たちはしている。
そして自分の機能の使い方、得意な、出来てしまう様なその機能の使い方が各々に社会の中にあれば、この自分が全てのことを出来なくて良いわけで。すべてができる訳などないから、他者のその”機能”と手を取り合うことになる。
そういう事のスクラムが「社会」だと思っていて、だからこれが正しい(悪い)ではなく、「そのパートを引き受けている”自分が採用しなかった”別の偏り、機能の顕れ」として全体(他者)が見えてくる。
ワン散歩中、人の身体の機能のことを少し思っていた。
別の役割を、それぞれの場所でただそれを全うし続ける。ハタラキ的に反対のものも同居している。そして全てを繋ぐものがありその全体として漸く「存在」させてもらえるこの”私”。
これはただのこじつけか?
実際に社会の中で「個」を見るには、社会という大量のモノたちがいないと、個ウンヌンのレベルにならず。こちらの為にはあちらを”観る”ことが必要になってくる。
全体を観ている時は、そういう視点になるのだけども、ちょっとしたズレで、自分側の意識になる。その意識で世界を見出すからちょっとワチャワチャな感じになる。簡単にハマる、自分を持っていかれる。
自分に集中する事。自分の世界が濃くなれば自分がどうこうしなくても世界の中にそう見えてくるもの。それが今まで世界の中の”他者の眩しい顕れ”と同様になっていくものだろうと思っている。
昔と違いその辺に「戦い」なんてない。
だけど、いつも形を変えたその名残はあると思っている。
強いものが残るのは当然だし、それに従うのも自分を守るために必要な選択でもある。
その中で、同じようにその場へ出て行くという想いを固めたものは、それが動作に乗ってくるのだろうと、これは想像する。それが皆が発現するとは限らないだろうけども、殆どがそうしない中で、現れ出たものはやはり目立つし”強さ”があるのだろうと思う。そうしないものからしてみればそれは”強さ”にしか見えない、そう感じてしまう。
その様なことを、どちらが良いかでなく、自分はどうしたいかという事で決めて行くことで、そこに続く動作が変わるのだと思う。
決めないと始まらない。
決めても挫折もある。
そのくり返しで、自分自身がなぜ、どういう所で(事で)躓き引き返してきているかが観えてくると思う。引き返してもいいのだから。それが間違いだったかどうかなんて、誰も分からない事なのだから。
きちんと自分の生きている自分の人生の真ん中を生きるのは自分だという事だけは外れないこと。そこからコースアウトなら、一体誰の人生を生きてるんだ?と自分に問え。
そうして誰もが自分の人生の中心を生きている。
ジャマをしない、ジャマもされない。
自分の中にそうしっかりと、軸を決めるだけ。
それでもその「決めるだけ」がかなり簡単に外れてしまったりするのが私達だから、自分を堂々と生きているようで、かなり”全体的”な生き方をしているのが実情。”私自身”になることすらとても難しい。
私自身になる事がとても難しい存在であるのが「この私」という存在。
もしかしたら。
「私」というモノはないのに、それをむりやり「わたし」という存在に仕立て上げようとしているからかもしれないね(驚
意識を全体から分離させることは、この表の意識側で”考える”レベルでは難しいという事。見えなくてもしっかり張り巡らせた糸によって私たちは引っ掛かりまくるアドベンチャー。
そんな苦労をしてまで手にしたい「私」は、それは何かを実現するための、必要な道のりなんだろうと思う。
自分の実現したい何か。
その大きな目標に向かって行こうとする意欲は、人の中にしっかり眠っているのだろうと、少しずつ目を開いていく主人を見て思った。
前脚の肉球の汚れが強いピース、後足の汚れが目立つニコル。前足の上面(爪側)が汚れるミルク…、基本は全体として足運びが軽いライト。
ワン達の足の使い方を見るとなしに感じている。
脚の上げ方なども皆違うと感じている。自分のことは中々意識するものではないけども、外を見て少しずつ自分側へ。そういうやんわりした情報が、結構役立ったりするもの。
「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!