見出し画像

オートで働く機能・連関

何かに集中できる状態というのは、本当に幸せだと思う。

ただ、のめり込んでいるだけで、その間に多くの事が学習されて、いつかの素材になっていたりする。

気づかなくても何の問題もない。それを自然と使える”自分”はここに居るのだから。

だけど、それが自分に見つかると、その活用の仕方を考え出してくれる…、どういう時にこれは有効かと。

・・・

ことが流れている状態の中では、”何か”一部をヒュっと取り出すのは、ちょっと難しいのかな…。

”こと”というのは、たった一つの事から出来ているわけじゃなくて、表の一つのために、そこでは選ばなかったものがあり、その一つを表に出すために、その周辺とのバランスが考えられていて、”こと”に集中される。

それだけ何か特定できる、認識できる状態のものというのは、様々なものの調整のうえで出来ていると思っている。そしてこの一つの”こと”以外が、殆どの全体であるという事を考えると、実に隠れている部分とのバランスが大切なのかと感じたりする。


これはワンコが糖尿病になって、身体のことを少し調べた時に、その仕組みの、普段は何も考えずにそれが自動で動き続けていることを考えた時に、ハタラキって本当にすごいな、と思っていた事を少し頭に重ねた…。

内部の複雑なことへの関与など、私はできないけども、それを考える機会とする事象は、この時の出来事をきっかけに幾つも感じていた。

機能の異常によって、増えているオシッコ・水飲み。それによってトイレシートを対応するために変更したり、敷き方を変えたりと色々やっていると、それが、元の目的からズレたり、途中に対応した事によって、元のそれが必要でなくなってしまったりと、そんな経過を散々観察していた。


対応サイズが細かすぎる状態では、変化させるサイクルも早くなること(よくあること)、また対応をした事により、その行為自体がなくなり、「なくても良いか?」というような事もあるのだけど、犬にとってはこの”視覚効果”が利いているのか”予防”になったという様な、人の思う”予定・計画”通りにはまったく行かない事も多く見ていた。(病気ワンコだけでなく、付随して変更したことの対応も上記内には含む)

スピードがとても早いので、変化させる対応サイズが細かすぎると、何かを落ち着かせようとしている”安定”を目指す状態では動きも細々とし、やはり少し”しばらく観ている”という状態が必要なことを実感する。

何かが落ち着くと思っている人間の思考をそこに観たし、だけどそれが追い続ける状態にハマっていると気づいた時に、”構える”へ切り替える…姿勢が違うんだと。


これはよく言う「向き」の話でそのまま考えられることで、自分がそれを見て”→”というそれに向かう方向でなく、逆向きのそれがあるという対処”←”という向きで、自分という「ここ」で受ける、という状態への切替えの話。

目の前の事象が、クルクル変わりやすい時、細かくそれを追うのでなく、「ここ」という場をあまり動かさずに”受けて”いく。

対処した途端に不要になる…だから止める…またやられる。頭で考えた事は対処によって対応したと思っていた事が、その動作によって「予防」に変わっていた、というもの。

とても簡単な例だけども、こんなたかが言葉の違い、”対処”のためという目的でいると、その動作(行為)がなければ「じゃあやらなくても良いか」という考えと淡く手を結ぶ。

言葉の違い=認識の違いでもあって、対処から予防のためという「目的」の切替え(認識)をすれば結果として連鎖が止まる。無意識に持っている自分のその動作の目的が、変わらないと意外にも結構、同じことをやり、終いにやっと”もうこれにしておこう”とした事で”切替え”となり連鎖を終える。

私たちはいつもこの自然に行ってしまう行動を、はっきりとした「目的」を持ってやっているとは思っていないし、全くそんな事を意識していない。だけど頭の中では、目の前の何かをみてそれに対して動作・行動をするわけで、それは何かの目的があってやっていること、自然にそうしていること。

その無意識にしている認識されていることが切り替わらないと、それの為の動作は連鎖するので、少し頭にあると「あっ」という時が来るかもしれない。

自覚していない無意識で動作していることが殆どの私たち。気づいた時には何かを少し切替えできるかもしれないよね(*^^*)

(”自分がそれを見て”→”というそれに向かう方向でなく、逆向きのそれがあるという対処”←”という向きで、自分という「ここ」で受ける―――”という表現は、非常に微妙な差でしかないのだけど、在り方としてはとても大きな差がある。

意識をそこへ向けて広げてしまう”分散”した状態と、自分の”ここ”という場所でもしっかり届いてくるそれに対処するという”集中”した状態との違い)


咄嗟に。あれこれ考えることなく、人を助けることが出来ることは、誰が見ても美しい。

そしてそれを褒めてしまう自分がいて、それも素敵だと思う。

その行いが、当たり前に出来てしまうスマートさを身につけるまでの、ほんの短い時間だけかもしれない。

自分へ言葉のご褒美を。

「良いことできちゃうオレって、けっこういいじゃん♬」

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!