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時間があったらシリーズ

そうか、この世は一瞬。

というのはそういう事か。

ムダを省いて”到着”しようとしているから。

上から見たらその様に映るし。

そして、

「到着」だけを視野に、フォーカスしたままだと、

途中をいかに効率よく進んでいくか、

という事から離れられない。

それが、本当に

『今という、ここ』に瞬時に都度、切り換えが出来れば、

起こる事その度に、目的は都度達成している、

と言える。

こういう仕組みなんだね。

今、という点にギュッとフォーカスしている様で、

しっかり遠くには本来設定した『ゴール』を目指し続けている。

コーチングも観えてくるね。

カコーーーゲンザイーーーミライ

移動しているな、先住民の様に。

・・・ ・・・ ・・・ ・・・ ・・・

どこにも、”この世は一瞬”に触れていないけども。

初めに視えた映像はソレだったから。書き始めると、文脈は違う流れになっている。

でも、これを現わすのに、一瞬の映像で捉えたモノは、確かにソレだった。

言葉にすると、大分印象は変わるね。


そして、この文章の中に入って、今度はそれを意識で体験してくると、今度はカメラの”ピント合わせ”のイメージが出て来る。

遠くから、ギュギューーッと”ここ”へ絞ってみたりして。

それを意識的に行う事を世の中では様々な言葉で言われていて、自分の行っていた「動作」がそういう状態だったのか、と今度は”言葉をつけられる”意識側に上がってきている。


【思考を飛ばすから不思議】

ここには最初の捉え方を凝縮、していて。

初めに何の抵抗もなく、考える隙もなく、「入れてしまう」から不思議、なのね。私のアタマの使い方が基本的にそうだから分かる。

そして、初めから「思考」で選り分ける、というアタマの使い方をする人もいるから、「何が不思議じゃ」と、判明してしまう事もある。

どちらも一長一短、特徴、個性。

私は丸呑みしてから、”考える”パターンが基本的には多い。先日のエイプリルフールでは、「プライベートジェット、すご~い…」と鵜呑みにしたもんね(笑)

でも最後まで読んで、「あー、そうかエイプリルフールね」と信じたままで終わらなかった。

これは他愛ない話だけども、日常の中で私たちはその様にしている、という事。アタマの使い方は、その人のクセであり、パターンであるから、そんなに都合よく切り替わったりしないからね、通常は。


今日はまた色々と、確認できるコトが届いてくれた。

言葉に現した時、それがどの空間の事を話しているかはその人の頭の中によって違うものだから、反応の仕方は異なってくる。

その反応を静めて、もう一度入力し直すと、反応は変わる。

”再入力”、これが”自分”を隠すまたは消す、という所に該当してくるね。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!