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大きな流れ/踊らされる

【私の思っていた事をツラツラと】の、”大きな流れ”と、”世の中に踊らされる”をザっと書いていきます。「大きな流れ」なので今までにも、何度か触れた内容です。

自分が、自分の意志を持っていつもしっかりと決断してきた。小学校でミニバスにしたのも、のめり込んで中学・高校と続けていったのも、とにかくバスケットを続けたかったから。目指す所には全く到達しなかったけど、それを悔やんだ事がない。他に上手なプレイヤーは沢山いたから、それだけ。

進学でなく就職にしたのも自分で決めて、希望の会社に入り、自分の意志と努力で色々をこなしてきたからやっぱり悔やむような事もなく歩んで来て。

約20年前に初めてうつ病になって、自分の意志で動けない辛さ、枯渇した気力、もう自分が終わってもいい、という状態を経験した。

9年後、燃え尽き症状になって専業主婦をやろうと、何だかんだ殆ど社会で働くことで歩んできた人生が転換していった。切り替えには年単位、社会で使って来た”思考の仕方”と全く違うので、私にとっては専業主婦が楽な訳じゃなかった。


段々と”お家スタイル”ができて、ワン達との生活もあり、暇する事はなくて、日々楽しく、充実した生活を送っていた。後に、主人が知った「引き寄せの法則」から、色んな記事を目にするようになったのが、4年前位と思う。そこから私は「スピリチュアル」に触れていき、憧れ、そうなれるならなりたい!と思ったりしていた。

『ワクワクして、思いだけで、望む状態が引き寄せられる』

という方法と、世の中に流れる、

『頑張らなくていい、大変なのはそういう風に思っているから、カルマだ、ブロックだ、、、』

誰だって楽に入手できるならそれを選ぶでしょうよ、今まで努力してやっとここなして来て、そこから解放されるなら、と「信じて」しまった。それでいいんだ、それによって手に入れられるのがスピ的な世界なんだ。

不思議だから惹かれたし、でも「その想い・状態でいればそうなるんだ」と、本気で取り組んだ。”おかしな物を入手する”という事はあまりなかったけど、世で言われている事で、ムリなく出来る事は実行した。

(これでも)酷く振り回されなくて済んだのは、早々に主人と2人して、

「思ったものが引き寄るなら、なんでこの人達はお金取ってやってんの?」

という疑問があったから。「教えます!」じゃなくて、直に引き寄せていない事に「疑い」を持っていた。自分では出来ないのね=ビジネスのカモか、と。そういうものに対しては正直バカにした。

ただ、法則と言うならどんな状況でも誰にでも働いているはずで、「どういう事なんだろう?」と試してみたくどんどん私はスピ的世界に入っていった。

その世界での知識がどんどん入り、実行できる事は行って試し、知るほどに元々少しばかり持っていた、アタマとココロの知識の事などと何か重なってくる…スピ自体にも疑いが濃くなっていった。


そうして、自分の目的を「自己探求」に変えていき、それによって”見方”が少しずつ変わって来ていた。

基本的には「自分を見つめる」という内面の掘り下げだけはかなり継続してきていて、「大して大変な事でもない」という期間を長らく過ごしていたんだと、後に気づかされる。「簡単に判る」状態は”上澄み”だったな、と潜ったからやっと「”自分”と直接会う」事で気づいた。


まずそもそも、世の中がそんな「ウソばかり」だと思っていなかった。安に信じていたという事も振り返った事で理解する。分けて言うと、ウソというか、「ビジネス世界」という目線で観てなかったので、”真実”が世に出ていて当然、と思っていた。➡この時点で世の流れに染まっている。

そしてそのビジネスの世界でも、本当に本心でそれを信じて「善意で行っている」というものも当然あり、「信じる・信じない」の話は当人の事で、私の思考を働かせる所ではないので無関心。

質が悪いと感じるのは判っていてやっている事と、これは以前から書いている。余計な思考にしたくないからこれもここで終わり。


世の中の新しい「在り方・考え方」と、既存の自分の「在り方・考え方」と。ごちゃまぜになりながらも、両方を見たり、過去の自分を修正したりした。これがあるから楽にならないのか…と。➡カルマ・ブロック的考え。

緩やかに古い自分を変えていこう、というスタンスを持っていた。暫くはそれを続けていくうちに、

「やっぱり、違う?そんなんじゃない…」

また疑問が大きくなり始めていた。

”ふわスピ”ブーム当時から、「これは重さのある感じなんだよな…。”古い”って事なのか?」と、ブームの軽さと正反対の重みのある「視えない世界」のスタンスを持つ人々も同時にきちんと”観て”いた。私が判断より自然とブームという流れを選択していた、という事。➡新しいものの方が優れているという無意識的思考。どんどん良くなって当たり前という先入観。こういう事から提供側のチェックはしたものの、全体としてのチェックは甘かったと言える。


できるだけ柔軟に取り入れてみよう、という姿勢を実行してはいるものの、そこはやはり上っ面。ホントに色々やったと思うけど、結局最後は「自分の選択」になっていった。➡”上っ面”とはいえ、ノウハウは自分の掘り下げの時に活きる。それを知らなければ内面を見つめる事すらできない。

私にとって、ここに着くまでは悩むという程でなくても、迷いがあった事は確か。世のそれらを試さず、「自分のソレだけ」という在り方のままだと、今までと何ら変わらなくなってしまうから。

”世の中を疑って見る”という考えを持っていなかった。様々を試してはみるものの、「???」がかなり多くなり、その経験の蓄積で漸く、「自分の選択」に辿り着く。

流れの結果だけを見ると、「踊らされちゃったんだな」と。判るという結論に至るには実行して経過が必要で、端から否定はできないものと思う。疑惑目線で観ればその結果を”寄せる”訳だから、「なんだよ」の結果だとしても、やって初めて判るのだと思っている。


次回は感情的な側面と葛藤、それだから「仏教」に繋がっていった?を書いていく予定です。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!