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状態によって決まること

まだまだ「自分」が膨らむ状態がある。
その時、その状態で、”先々の目指すコト(所)”を実行しても、まだ十分に膨らむ自分の余地があれば、必ず膨らむ。

十分にそちらに満足し、自然な流れで切り替わる。切替えという意識さえそこにはなくただの流れ、成り行きとして、その状態は変わっていく。

(メモより)

補足どころか説明が必要な内容なので、細かくしていく。

「自分と自分以外という他の存在」の、両方を観ている状態の話で、昨日の”意識(無意識・無自覚)”の事とも層は重なっている。

私の過去の、散々書いてきた表現を混ぜながら書いて行くと、「自分の中に摩擦は極力作らない」「自分優先」、という事なのだけど、他者(自分以外)を優先に考えるということは、考えてやるというより「そうやっている」という自然な選択の中でなされるもので、”その様にしたい”という思いがある事は自然でもあるのだけど、自分が満たされていることによってそれは自然な形となるもの。

”犠牲の形をとる事はない”。
自己犠牲はどうしてもバランスが歪みとなってしまうので。

「自分を優先に」という事を書く時、私は必ず犠牲の形をとるケースを前提としている。良い人である事とか、そうしなければいけないとか、私自身の経験・在り方からその様なことがまず先に浮かんでいる事による。…、そう考えるマジメな方は多いと感じるから。

そうは言っても「自分を優先」にした場合のセットも書いて来ていて、「必ずその結果は”自分”で受け取る」という事。何かを自分の意思によって選択実行するという事は、そこまでがセット。こちらもまたやってみると結構、楽じゃない事も分かる。


やってない事は、やってみて”実感”できるので、それによって本当の落とし所を自身で考えるようになる。自分だけの事では必ず無理だと思うし、他ばかりでもこの自分にフラストレーション、自分の存在は、他との関係性の中で”ある”事が段々見えてくる。

自分がどうしたいか、何を望んでいるかなどの具体的なことがきちんと頭にある事、分かっていること。そしてそれが確かにあるならば、「他者」においても同様だということは理解が可能なこと。”私”という存在が他者のいちいち、アレコレすべての事を具体的に分からなくても、「他者にも同じ状態がある」という事の大枠は呑み込めるはず。そこはズラさない。

またたとえ他者において、自分より知っている事が少なく、本能的な動きしか出来なかったとしても、その状態が思考による冷静なものでなかったとしても、そこはこれを考える点では関係がなく、原因は何にせよ動作という形で「状態」は現れているのだから、ソレを見れば良く。

自分の進めたい形と、他者の行いとが”消化”できる方向へ、「考える事ができる者が」考える。分かる者しか分からない、これしかないから(笑)自分の姿勢を決めるという事でもある。

自分というものが無意識にパターンを持ち、リズムがある事と同様で、他者には別のそれがあり、”自分側”から考えるのが遠回りになる事がある。自分だけで完結できることならばただ行えばよく、何の問題もないのだけど、”自分以外”という両方が視野に入った時、「外側から」観ていった方が正しい。


その中に、自分が着地させたいスタイル、パターンを組み込ませ、それによって”関わり合い(方)の習慣”をそれぞれが身につけていく。人は考えてないようで”他者”を念頭において思考・動作しているし、場合によっては矛盾する中で「決めてしまう」ことが出てくる。

この層だけを主にして考えると、必ず「決めること」が出てくる。あれこれを吸い上げることの困難を認め、それでも極力互いが心地良い状態を目指して「決める」。不快やリスクが最小限になる様な選択の実行で”決めて”しまう。

決められない”相手”に委ねるのでなく、最善へ向けて決めることで動き出す。分からないのは”結果”というデータがまだ少ないからで、データが増えると”やりやすさ”も断然増えて楽になる。何でも、やってみた事が情報として自分に蓄積される。

・・・ ・・・ ・・・

一応、メモ内容に戻ってまとめた感で締めていくと(笑)

「自分」という個が目一杯に膨らんでいく方向を持っている状態では、外のどんな、最終的な”解”と思われる到達地点へ向けて取り組んだとしても、底では満たされない気持ちがあるだろうと思う。一生かけても手にできるとも分からないから、それすら「解」なんてないかもしれないけれど。

自然の中の生き物たちは、”それをしよう”というより、環境との一体性ともいえる状態によって動きが必然的に決まる所がある。人はその逆の性質を持つことが主となっている一長一短の状態。

その機能を、自分のコントロールでどの加減・場面で使っていくかは、自覚する存在側の「自分」が決めることができる。

あちこちに現れる”自分・私”。

”私”でガンガン行って良い時と、どうにもそうでは都合が悪い時と場面によって選択をしていく事を、この現実世界で学ぶ。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!