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基本は”クリーニング”すること

そうか…。
あぁ、そうか…。

と、分かっている(はず)なのに、”意識”はやっぱり分かっていない事を、この自分の中での「そうか…」のくり返しで漸く意識側に浸透してくる。

意識とは自覚される、”そこに立っているもの”という感じがあるけども、言葉では普通に使っているここでの「意識」は、どちらかと言えば無意識の意味に近い…、というよりそうだと、この状態から言える(みえる)。

今まで一緒に括られていた・一緒くただった・一つに見えていたモノが、実はバラけているそれぞれのものの重ねられた状態だった、という事を、こういう時に拾ったりする。

この事自体は、過去に言葉で表現したことのあるもので、新規事ではないのだけど、この色々を何度かくり返すうちに、既に言葉で表現していた頭で理解されているものの見方が、より細かく鮮明に視える(感じる)ようになる、という事なのだと思う。

過去の言葉での表現では、
・ズレた時に分かる
・意識はいつも置き去り

などと書き、今目の前のできごとは、既に今までとは環境が変わってしまっているのに、今までと同じ動作を”無意識に”やってしまう、などというものだった。例えばワン達のおやつの切り分けを5つにする事は、現実は4つに変わってからも直ぐに変わることはなく、「あぁ、そうだった(^-^;」と少しの間続いた。

分かっているのに。頭では理解されているのに、動作はすぐに変わったりしない。それはその他の例でも何度か書いていると思う。


そうした事からも、”意識はいつも置き去り”と感じて表現したのだけども、言葉は”意識”という言葉を使用しながら、その状態を現すもの、その内容は”無意識”という状態であって、表現の難しい所はこういう所なのだと思う。言葉の意味の中で理解解釈することが、私達の当然の処理としてなされてしまうものだから。

これを、既にその状態を知っている状態であれば、この言葉の解釈を言葉だけの意味から解かずに、状態から言葉の読み替えを行うので、内容の解釈に大きなズレが出ない―――。


今日の話からズレてきた(笑)
出だしの内容へ戻して。

”気づく”ことで、明るさは増していく。多分、「目が開き出す」のだろうと思う。

少しの明かりが見える状態、”気づき”。その薄明かりを頼りにどんどん何かが少しずつ見え出すから明るさは余計に増す。自分の気づかなかったものが見える位置にくる、というもの。

また少し脇道へ入ると、この上記の書き方も、どちらからでも書けると思っていて、例えば”深い所にあるもの”それに気づいたとし、そこに光が差してきて幾らか鮮明になってくるという見えないものはソコ(底)にあるものという見方か、ココという通常、人の考えるこの”地表”に、見えなかったものが浮かび上がってくるという様な、自分を動かさない見方と。

何か「私」という存在によって、潜っていく(”私”の移動)という見方か、何か「私」というものはここにいて、上がってきたモノを掴んだ(”私”の固定)という見方か…、私は拘りを持っていないから、どちらでもその様に書けると考える。(というより、その時の”自分”の場所によって、移動または固定を表す表現をしていると、私自身については思う)


話を戻して、やはり無意識に自分が今までの記憶に囚われる、自覚もなしに囚われているという事を、”ズレ”を見るたび一つ一つに感じるようになって、それは勿論、そんな事をやろうとした訳でもなく、だけど気づきから少しずつ見え出すことが拡大して、それしか、その様にしか見えなくなる。

この部分を書いていて、自分にとってヒントになったのは、一昨日Facebookで書いたたった一言―――、”ホ・オポノポノ”だと思う。

記憶のクリーニング。

何だか意味不明な、「お呪いのような、決まり文句を言う」という事でなく、その書かれているストーリー・理屈の根拠が脳のハタラキときちんと合っているその考え方がいい。

すっかり忘れていたその事を、こういう時にプッシュしてくるのが、気の利く脳の働きで、私が思い出そうとしてやった事じゃない。だけどそれが自分に明るさを与えている。


どれだけ意識的に、”今この瞬間を生きる”としても、私たち人にとっては、勝手に情報は記録されてしまい、その過去に縛られることが多い。楽しく幸せな記憶をわざわざ消す必要はないと、私は考えるけども、基本はクリーニングする事にある。

目の前のことを、先入観なしに、個の思い込みを排除して…というのは難しいと思う。それをするには、「自分を抜く」という意識より、「他者の中へ入ってしまう」という在り方の方が、よっぽどその状態が作れるものと思う。

ものごとは、何かそれを成したいと思う明確な状態がある時、それ自体を行う場面と、その逆を行うことですんなりできる場面があると思う。やり方というものが一つとはならないのは、こういう事ばかりだからだと、私は思っている。


”自分を抜く”とは、クリーニングされた状態と同じ意味。毎瞬毎瞬過ぎ去っていく事を記録せずに「今」を追い続ける―――。

なんて言うのは、とっても難しいわけで、だからせめて必要な時、気づいた時には「あぁ、そうか…」と、ここから離れた意識をまたここに引き付け、目の前のことに集中できれば、上出来なんじゃね?という風に思っている。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!