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昔の人ってスゴイ。

「神」が生まれる時の
”流れ”をみているようだ。

タテの動きがヨコを助く。
止まらぬ緯魂を経魂で消化する。

伊都能売御魂はこうして生まれいずる。


という事が、要約すると今日書こうとする全体内容から浮かんで見えたので、以下はそれを現代の言葉(メモ)を並べて、最後に少しまとめます。


1/14メモ

書いてアウトプットしているとよく分かるのが、「視点なんて変わるもの」という事。

「あの時はこう書いたけど、今はこう思う」などはざら。

過去のソレを否定するでもなくただ、その時はそう思った考えた、感じたというもの。とすると、別に観えてくるコトも。


一時点で固定、留まるものじゃない、という事。常に思考なんて変わってしまうのは脳が働いているから。そう考えると、視点・視野はどんどん広げる事は可能と感じる。

”あの時は間違えた”。
確かにそれもあるかもしれない。だけど「間違い」を知るには、他の視点が加わらなければ見えて来ないもの。


他から気づく”視点”というもので、自分の視野も広げられる。

間違いを恥ずるより、それがちっぽけに見えてしまう様な視点(視野)を持とう。全体はいつも大きい。


1/18メモ
多分間違いない。

バーッと色々を散々書いた後(様々なメモ)に、また少し時間を置いてそれらをザっと見ると、もの凄い「”思考”しているな」と感じる。

その時は思考(考える)より、想い(感情)的な事を書いているつもりなんだけれど、「何だか色々よく考えているんだな…」という印象に変わる。それがたくさん書く時(メモする時)の特徴。


そしてそこから深い所では、いや、同時なんだろうかな。

それらの思考に紐づいていた思いが色々観えてくる、上がってくる―――、掴みやすくなる、というもの。

逆から書くと。

思いが下側で動き出すから、表の思考が色々とカタチを変えて現わしたわけで。そんな特徴も掴めた。

こう言うのを見れば明らかに思考と分かるのだけど、自分では思い(感情)と感じている”何か”がある事にも驚く。


1/19メモ

無意識とは心の状態とニアリー(イコールか)。

最近の夢を観ていて、見易くなったそれら幾つもを観ていると、心、隠れてしまった「心」が現れているものという風に考えられた。

そして睡眠中という事で、それが”置き換わった”映像・画・描写になっていて余計に解読が難しくて。


どれだけ「心」は、隠れたいのだろう。
どれだけ「心」を隠したいのだろう。

こんなにはっきりと、出たがっているのに。


メモ内容の”具体的”な事、直接というより、書いたもののその”流れ”の場所、とでも言うのかな。そのバーッと出てくる速さをサポートするのは、どんどん消化させてしまう事。

この消化はつまり動作・行動、という実際の動きで、流れが速いから「行動が自然と促される」といったイメージだった。


また別の言い方に変えて書くと。

動く状態にある、動ける状態にある時、それは(脳内に)湧き出す状態である、という風にも言えると感じた。

で、結局両方が忙しく動く為、疲労も消耗もするのだけども。そしてその両方の動きによって発生する自分から生まれ出るものがある、とした時、それをまとめたのが、冒頭の言葉だった。


過去を観て照らし合わせたりをしていると、本当に不思議で面白いストーリーという流れが「自分」というものの中に見えてくるのだけども。

これは、誰にとっても同様で、誰かにとっての”ストーリー”がきちんと成立しているのだと当然の様に思っている。


そして必ず、「ストーリーは”その瞬間”では分からないもの」であって、後にそれらをその様に無意識に繋げるようにできるのが、私達の有能なこの「脳」なんだと思っている。

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(まとめを夜に書いて行こうと、日中に下書きとイメージを済ませていたのだけども。夜には非常に強い睡魔と脳の疲れを感じて、日中のイメージまで膨らみ切らなかった。寝ます(-_-)zzz)

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!