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あ、やりましたね。

♬心の損得を考える余裕のある 自分が嫌になります…♬

「オレ、損得しか考えてなかった…、オレ余裕があるんだ・・?」

「昔からそうだって言ってるじゃん。”余裕のある所”でしか生きてないでしょ?」

そんな会話も前振りだったかもね。


「そんなのオレは認めねぇ…」
「別にいいんだよ、全部自分でそれを受け止めれば良いんだから。」

年末の雰囲気をいくらか感じた買い物、帰路での様々な会話から互いの意見は反り合った。これもいつもの事ではあるのだけども。

いつもの様に車から荷物をリレー作業で玄関に置く…全ていつもの様に。私が脱衣で物を片していると、

「バラバラバラーー…」

(あっ、破った)
米の袋に穴を開けたらしい。

「力を入れていないつもりでも、あなたは力が強いから…。」

言えるタイミングでは畳み掛ける様に言う私。日頃からも他の面で繰り返し伝えている事。

「オレがやったんじゃないから。ここに引っかかった…」

とにかくやった事を素直に認めない。そういう事に私もイラつき始めていた。2人でせっせと玄関に撒いたお米を掃除した。

「この玄関を掃除させてもらって良かったわね。もう何年もやってないでしょ。」

毎年の玄関掃除は主人が行っていたけども、サラリーマンに戻ってからは家の掃除はやらない。世の中の出来事も絡み、連休などないので仕方ないと私は考えていた。主人がやっていた時ほど丁寧にはできないけど、前日に掃除を終わらせていた私は、主人に皮肉った。


買い物の片付けも終わり、いつもの夕方の”緑タイム”。のんびりはしていられなかったけど、空に目を向けた。

(カチッカチッカチッ…)

出しては収め、出しては刀を鞘に収めた(もちろんイメージ)。深呼吸して下へ降り、玄関の正月飾り、鏡餅をセットして主人は遅い昼食の準備、私は道中に食べたパンでお腹いっぱいで止めた。

「そう言えば、お米撒いたなあ・・・」

主人が言い出して、私の想いと重なった。

「そうなのよ。私掃除しながら、『この光景、何だっけ…?』と塩を撒いて玄関掃除をするのと同じような感覚があったのよ。」


正月飾りをセットする前に、またきれいに掃除をする事になった事が偶然とは思えなかった。わざわざこの時期、このタイミングが重なって、現実世界の事として実行すべきことが起こる。

この捉え方をすると、「”想い”というのは関係なく、実行すればよい」という風にも解釈が出来てしまうけど、この事に気づく(そう解釈する)事によって、後付けでも「心が追いかけて」くれる…、「そうさせてくれた、そのような行いをさせてもらえた」と。

そうすると、「だから言ったこっちゃない…昨日も掃除したのに、もう」という思いが、「この事があってこういう風になっていたのか…」と、事象は変わらず解釈が全く変わってしまう。


そんな会話からお正月のオモタルさんの風景を思い出したりしていた。本殿周りにお米が撒かれていて、「そういう風にするんだ…」という事を知った。

祓い、お賽銭、意味をどう採るかは拘っていないけど、自分たちの中に「感謝」を持たせてもらえた。「まるで神社みたい(*^^*)」

「本当に良かったね。良い年を迎えさせてもらえるね(*^^*)」

現象そのまま、解釈でひっくり返る見事な出来事。こんな事が本当は世の中に起きているんだろうね。

私が大切な場所として位置付けている「玄関」での出来事。「あ~、なんか良かったな…」という思いで色々話していると、

「オレがやったからね('ω')ノ」

とふざけた主人。

戯言として許してやる(笑)

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この日は、表向きスルーした”背景的には捉えている事”が、後に見事に表面で解釈に結び付けられる事が多かった。

”これは朝言ったこの事だね”

”今のはそう言う事だよね…”

そして主人も驚くピッタリのシンクロ。

「えっ?なに??それ今言ってた事でしょ?どう言う事( ゚Д゚)」

「ね、言ったでしょ?ウソじゃないんだよ、ホントにそうなの。”ちょっと読もうか”、って見ると、今のこの話がソコに繋がってるのよ(^-^;」


いつでも冷静でいるには、たくさんの修行をした人以外は、範囲の狭窄。感情を感じる事はあまり楽な事ではないから。疲れるしね。私は修行でそれらを学ぶ事ができないから、経験から少しずつ体得したいと思っている。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!