えっさ ほいさ~
細く柔らかく薄い雲
この世界いっぱいに広がる 今日も自由
時を経て
カタチはしっかり強く主張して
その強さがまた心を躍らせる
柔らかい雲も力強い雲もーーー
鳥たちは仲間と共に優雅に飛び回り
連なる勝ち虫はグングンと進んでいく…
これらは全て わたし だ
そして皆が これら全て である
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(9/18メモ帳より)
”イヤな事が起きてくれる”というより、ちゃんとその様に「捉えてくれる」、自分が。
そして観れるようになった自分の時に、「その反対の面」がきちんと見えてくる。
『転んでもただは起きぬ、ただで転ぶもんか』
表(正面)から見ていると思っていたその面は、他人からすると表(裏面)であって、同じ表を見ていながら中身は全くの真逆だったりする。前提というその人の土台。
「違う前提をぶつける」
という事で、違う人生を歩んだかもしれない自分が見えてくる。それは「出来なかった事」と卑下しなくてもいいけども、世の中の理不尽さを嘆く事くらい自分に許してあげたい。
今までキツかっただろう?
かなり頑張って生きてきただろ? と。
世の中に強い人なんていないんじゃないか。
強くならざるを得なかっただけで、みんな奥に持っているモノは、とても柔らかでいつも壊れそうなモノなんじゃないかって。
大切な”ワタシ”を壊したくなかったから、守ってあげたいからたくさんの鎧を付けてきた。
これは重いモノだったのかも、と少し気づいたんじゃないか?
私がその環境じゃなかったら、やっぱり全然違う人生だっただろう。
皮をむく時はいつも涙が出るね。
柔な自分がそのまま生きるには衝撃を拾い過ぎるから。でも鎧を付けている事を気づかない程、それと共に生きる必要がない。
マスクを外すと少し恥ずかしくなるような気持と一緒(?)
こんな事に気づかなくても生きていけたでしょうけど、本当の自分を拾っていると、ちゃんと気づいてしまう、「あれ、おかしくね?」って。
☆ ★ ☆ ★ ☆
上記のメモから今書いていて感じるのは、「中身」はそのまま向き合いの内容としていいのだけども、違う自分を拾っていた。
例えば私は今まで、”他人は自分の投影”という事の理解が難しい、と書いてきているのだけども、この内容の”人物”が逆に(?)、他人のように見えたから。
勿論、私自身の事を書いたのだけども、この錯覚ができるなら、”自分以外の人”というものを「自分」と考える事が出来る、という事になる。
つくづく、方法・手段というのは一方向じゃないな、と感じます。ただ、自分でやっていて「危ない状態だな」と、しっかり気をつけよう…と色々感じたのは昨日のドライブ中だった。
昨日は、自分の大きな人生のパターンから、分解した自分の状態から、もう、沢山の事が溢れ出し、冷静でありながらも感情が忙しかったのを感じている。
これだけ人生を振り返れる「材料」を持っていたんだと、自分の経験を褒めたい。(歳とかいうなよ(-_-メ))
何より感動したのは、エッサフォッサ♬(*^^*)
走り出してラジオをかけると間もなく流れた曲、歌詞に釘付け…帰宅して調べた。
とりあえず 食べてみよう 飲んでみよう
OH全部試そうか
まずは右をみて 左へゆこう
なにがある OHそうさ宝箱・・・
やっぱり、私の中とシンクロしてたから(*^^*) これは、9/22リリースだった。
(私が日記にまとめていた一文は、『全てが気づきでしかない。そこから何を拾うか、宝は目の前にある』)
「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!