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人は人に期待している

『ほほ…みんな勝手だな(*^^*)』

ワン達が眠る夜、いつも大体決まった場所で寝るもんだから、その場所に敷物などを用意しておくのだけど。。。

大体は決まった場所で寝る。けども、わざわざベッドの外側で寝てみたり、敷物の横に寝てみたり…。好き勝手に横になっているのを見ると笑えてくることがある。

例えば犬は、”せっかくここに用意したのに”という事には一切関係なく、「寝たい所で寝る、以上」というその姿勢をたまに見ることで、私は人の持つおかしな壁のようなものを感じたりする。

おかしいかどうか、は、犬が入ることでそう感じているのだけども、人だけの世界なら、それは当たり前になってたりするんだろうな…。


”機能”は、必要な時にきちんと働いてくれる。そういう事かな。

ワン達の態度、その状態・その在り方は、過去にも触れたけども、でもやっぱりそれを目にした時、静かにハッとする。

私から見るワン達の姿・在り方は、”いつも(我が家の)ワン達である”だけで、そしてその”普段と変わらずにそうある”ことは、私にとってかなりしっかりとした”支え”のように思う。


過去を思い起こして書いているのだけども、例えば相手が人ならば甘えや期待というものが出るようなシーンとしても、そんな事はワン達には関係なく、ワン達はいつもの自分達の行動をしているのを見て「そうだよね(^-^;」と笑った。

(他者に)何かを求めた状態が悪いとは思わないけども、この時はまだ自分自身をよく見つめている時だったものだから、自分の中にあるものを掴んだ気づきとしての把握だった。

ワン達のように、「いつもの様に・そうある事」というのは、一見冷たいようで、結構な支え、文字通りの”支えの部分”になっている様に思う。それがあるから”足元”になって、そこからムダにその下へ落ちていく事がない、その様な感じ。


”人”ならば、支えというのは、結構難しい在り方だと思っている。それは、強ければ良いわけじゃないと思うから。相手にとって丁度いいというのは、結局ワン達のような、接していながら何もしない、その加減は何もしないその事で、同じく真っすぐになれる、そんな風に思う。…、犬はその在り方は自然であるだけだけども。


逆に言うと、人は、在り方すら”自然”でいることは難しいという事か。人は何かを思い、考えることができるので、容易に自分を傾けてしまうことができる。その時点で「ただ相手である事」という存在にはなっていない。

これもまた、触れたことがあるのだけども、互いに傾きをつけない在り方で成り立つ関係があって良いし、十分に傾き、それによってその関係が成り立っているそれも良いだろうと思っている。ただそれは”健全な形”が良いだろうとは思う。

それこそ、後者の傾きの関係は依存の関係とかいう説明はできるのだけど、私は大分昔に見た映画のセリフ(内容)が引っかかっている。

”そうする事で、自分を支えている”。

相手(他者)に、何かをしている事で、支えているようで、実はその行為によって自分自身が支えられている―――。セリフはまったくこんなものじゃないし、雰囲気しか掴んでないけれど、こんな”感じ”のようなそれ。

それを耳にするまでは”良くない事”として、私は理解していたと思うのだけども、ストーリーの中では「そうか…」と、心に残った。


頭で考えると、「それはこういう状態だね」と言いたくなるけども、お話の中では、流れ、その物語からその在り方を”理解できる”ように変わる。人がその人の前後を知らず、見ずに、”その場”だけに反応するという事は、もしかしたら、やはり、理解にほど遠い”考え”の目線から見ているからかもしれない。

どの入り口、目線から入って行くかによって、”出口”は自然と変わるのかもね。


ワン達のその”自然な在り方”に、怒る人はあまりいないと思う。だけど、相手が人となると、何かを期待している分、それが得られないわけだから不満となり、下手をすれば怒りが湧いてきたりする。

相手が犬や他の動物であれば、同じ動作をされても怒らない気にならないのに、人が相手だとそれでは済まない。

とすれば、人は”相手”によって、自然と何かのメモリを替えているね。必要な場所は勝手に機能し、そうでなければ無反応(スリープ)。

私たちが考えているより断然いろんな場所が機能して、それが起こったり落ち着いたりしている、そんな風に思った。

(あー、人はそもそも「立ち方」が違うと思ったわ…。支える姿勢もだから違うかな)

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!