見出し画像

どこでダ~ンしてる?

「書く内容」が変わるというのは、「脳内が変わった」という事がひとつ言えるわけです。

少なくとも、”その状態が現在にある”という事なので。

例えば、私自身とか、主人の様子とか。今まで私だけでなく、主人の更年期の様子も想定している時というのは、この様な内容を書いていません。男性でも身体に変化が出るという事も実際にある訳で、主人のホルモン変動と思われる変化が、簡単に確認できる状態も、実際に過去にあったわけです。


そういう時は当然、上記に書いたようなことを言うことはなく、時の経過を待つだけ、”状態”は永久の話ではないので。過ぎて行くことを知っているから、「時を待つ」という事で過ぎてきただけ。

何か対応が必要なことはそれに応じ、それ以外は下手にアレコレするよりもずっと簡単な方法だと、私は思っています。

そして諸々の急激な変化が終わって落ち着いてくると、今度は「自然と前を向きたくなる」という流れが現れます。表現の仕方は色々あるけども、これが「”やろう”としなくていい(状態)」です。


”意思を使って”の話の前の段階、まだ抜けたばかりの状態でいきなり踏み込む必要もなく、しっかりと徐々に踏み込める準備を、身体を慣らしていく。そんなイメージ。

そこも終えれば、きちんと必要なことへは意欲的に、自分のフォーカスするものへの無駄のない力のかけ方が現れてくる…。その様な流れを軽く感じています。

私が今までに強く関心を持ってきた事の内容は、殆ど主人に伝えていません。主人はそれに関心はないから。

だけども主人を観ていると、すべてではないにせよ、「あ、出てきた…」と感じる私の経験との”一致”がポツポツある事から、流れのプロセスは大まかに同じだろう…、と感じるというものです。

脳波にそれが現れる頻度が増す(そうであろうと感じる)。

それはやはり、脳の成長プロセスでもあり、ある意味「当たり前」とも言える流れなのだろうと、今も感じています。

・・・ ・・・ ・・・

いきなり始めました(笑)
上記は、昨日記事だったものの最後の一部を最終的には切り取り、保存していたものです。

今日はメモ帳を元に書いて行きます。


アタマの中(妄想)から出すタイミング
どの部分で”出しているか”という事が視えていた。

アタマの中でダーン(done)してその「結果」を出力する吐露なのか。

妄想した所から出力、”外”の動き(実動など)を経てのダ~ンなのか。

どちらも一応の出力。だけどちょっと、いや大分違うこの差。

この差は実力の差と言うより、”実行の差”になって、この星(地球)では、まだこれが断然にモノを言うのだから、カタチに近くなるのは外の動きを経ての”done”よね。

で。
実動・行動という事の補足を少し以下に。


言葉の意味からとにかく「動く」という事が連想されるだろうと思い、これは補足を入れたいと思っていた部分。

確かに「動ける」ことは、動けないよりも有利なこともあるかもしれない、というのも事実と思うけども。その「動き」の内容は、”動くだけじゃない”という事を加えたいと思った。

「出すタイミング」としたのだけども、これは時間的意味より、「区間・場所」的なイメージで使っているのだけども、簡単に書いてある通り、「アタマの中ではなく、外で結果を見る」という事が言いたくて。

更にこの”結果”は良し悪しの話では全くない、何かを行ってみた事の”結果”であって、成果をあげなければいけないというものでもない。


だけど、その習慣を当たり前に行うことのできる人たちは、確かにこの現実世界での「実動」が多く、結果として”成功者”となっている事は間違いがないと感じる。

結晶化と書いたけれども、もしかしたらそれは、妄想から出力(もう外へ出ている)となっているため、”組み立てるだけ”と感じているかもしれない。それ位、行動が”普通”になっている人たちには時にカンタンなことなのかもしれない、そう思った。

そして、この外の動きは動きまくるという動作の連続を書いている訳ではない事。

”外に出た状態”においても、「考える、止まる・変える」などの身体の動きっ放しだけではない状態も入ってくる為、考えずに止まることも知らずにただ動き回る、という意味ではないという事。それだけでは、吟味することもできない。

もう1つ分解すると、”成功者”というのは、地位や名誉という事ではないという事。それは一部の”表現”であって、だけど多くの人々がそれを目指す世の中だからそれに合わせて書いた。人生での勝者など、世界にどれ程いるか分からない(笑)

・・・ ・・・ ・・・

そろそろ”切り取り”部分へ繋げて行きます。

物事をなんでも建設的に、積極的に考えることができない状態がある事は知っています。

また、それを理由に脳内から出ることなく終えてしまおうとする者たちが沢山いることも知っています。

自分がどの様な状態にあるのか、という事を知らなければ、現在地から動く事はできません。

今に必要なことを丁寧に対処・整理をしなければ、絡まり続けた塊が勝手に解れることはなく、余計に硬くなるばかりです。かつて書いてきた”分解(オーバーホール)”が必要なのはこの為です。


その様にゆるやかな順序を経て、「今が幸せならそれで十分」という状態から、自然と先へ目線が流れていくようになって、それが意欲的に見えたり、積極的な姿勢となって顕れだす、という様に感じています。

主人はその様なことを強く意識して日々過ごしている訳ではない。だけど見ていると私が経験したような、自然と似たような状態がそこにあると感じるのです。

切り取り内では「脳波」と書いていますが、それとは別に”ライフステージ(サイクル)”という表現をする事も出来てしまいます。「表現は何でもよい」というのはこの様なことからです。

その事を、「主人のこと」を例として出しながら、”人”のこととして書きました。


「何かをしよう」
と意識してやることはあるけども、そもそも「そう思うことができる”状態がある”」という事の上に成り立っていると思っています。

だから小手先いじりを私は時に揶揄するし、キレイな言葉を並べるな、と思うこともあります。それは、そうならなければ到底、”その事”は分からないからです。

だけど。
「キレイな優しい言葉」で書くことの利点も私は知っています。

明日は、それについて書いていきたいと思いまふ(*^^*)

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!