謹賀新年

2023年 1月1日

新年になりました。
本年もどうぞよろしくお願いいたしますm(__)m


昨日の続き、と行きたい所だけども、元旦そうそう字数多めの読み物をしなくても、リアルは充実していると思うので真剣なテケトー話しを簡単に。

・・・

私個人の、ストレートな打ち明け話です(*^^*)

いや確か、内容的には近い事は触れた事があると思うけども、noteでは書いていないと思うので(?)


少し前に書いた、「核の自分を覆う、”私”という表面部分は、揺れても平気」という様な事を書いたのだけども。私が”自分”を覆う理由があって、そしてそれは若い頃から意識して”やっている事”なので、”平気”と言える部分でもある。

これは親譲りなのか(笑)、父はとても鋭い人、母は真っ直ぐな人。それらが合わさっているかのような私でもあるので、正直手を加えないともの凄くストレートな言葉をかなり鋭く放ちます。

それを自覚しているので、表面ではこれでも言葉を丸くしています…、自分比。


もう一つ。子供の頃から嫌いなのが【気を遣われる事】。両親の離婚、祖父母との暮らし、酒乱の伯父や統失の叔父などの影響がなかったとは言えない小学生の頃の私は、親友との登校中に無言の事もあり、「どうしたの?」という気遣いをされるのがとても嫌いだった。

私は気遣って欲しい訳でもなく、無視している訳でもない。ただ話したいと思わないから話さない、放っておいて欲しい…という所に、心配する親友のそれが私には不要だっただけ。

そんな事があった。


そしてそれは子供の頃の話で、それ以降そういう事があった訳じゃないのだけども、若い頃も黙っているとどうも気を遣われてしまう質で、それは私自身【困る事】なので、おチャラケる、砕けるふざける、言葉も粗く…まぁ場所場所で色んな”自分”を出してきた。

そしてここからは、「私個人の”問題”」が絡んでくる事だけども、私が素で人と関係を持つとかなり硬さがある。言葉が丁寧になってしまう為、前出の鋭さ・真っ直ぐも感じ易くなる。


挙句の果てに、それは人との間に”距離”を作るもので、本来それが「正常」なのかもしれないけれど、私自身が「近めのスタンスで人と接する」という事は以前にも書いた通りで。

ここにもう少し、私の工夫が必要なのかもしれない、と少し考えている所。(故に、記事を書く文体も「話しかけ」スタイルで書くことも多い)


と、ここまで書くと、「今までの習慣から来る”距離”の保ち方」を固持しているのが見えてくる。

そして目立つ【 】にカッコを変えた。更に本音の為に私は「ウソ」までついているのが分かる→太字。

素のままでいられるのが良いに決まっています。だけども、そこは私は少し考えながら自分に調整・工夫するという事をプッシュされているのかもしれないな、という所でいつもの約半分ほどで、今日は終わります(*^^*)

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!