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心の自由度が高いのはシアワセ

2/20メモ

私が解釈するに―――。
天罰というものがあるとするならば。

それは、人がその不自由から解放される事。
その導きだと思う。

あ、結局罰なんかじゃなかった(笑)
それを罰という解釈をするのは、”人”でしかない。


2/23メモ

「遠くに」
一番遠くに置いたその「分からない事」。

そのお蔭で、私達はソコを目指す事ができる。
最強の大天使だ。


3/19メモ

諦めた(一般的意味)と思った時、
そこからまた始まるのは―――。

その放り投げた瞬間、手放した瞬間に、
「いいのか?それで本当にいいな?」

という声が、遠くどこかに聞こえるから。
そのわずかな声が、自分に次を連れてくる。

(本当に聞こえる訳じゃない。脳で自分が自分に問うこと)


上記とは関係なくツラツラと。

同時刻に上がっている音声noteでも、”感謝”の事はほんの少し触れているのだけども。

「私は、全てにいつも感謝などできない」という風に音声で言った。本当にその通り。感謝の仕方や何に対してなどは、当然の事ながら皆が同じでない。

何かをしてもらって「ありがとう」は当然の事だけど、それ以外は「何でそれに感謝するの?」「感謝の意味が分からない」なんて事だってある。私はその様に耳にした事がある。


感謝は”する”でなくて、その様にしたくなるもの(こと)。

「その様」という事に気づかなければ、”ありがとう”なんていう思いが湧く事はない。それに対して、なんにでも感謝・ありがとう、という事が良いなんて言うと、口にする事はできても、心はそんな風に思っていないもの。

それはそれで、また良いのかもしれないけれど(笑)


私が考えるのは、「極力、自分の中で摩擦を起こさない事」なので、世の中の良いと言われる事に無理して「うん」と言わなくても良い、というもの。”自分が優先”という繰り返し伝えていること。

この一見身勝手な在り方は、とにかく「自分自身と信頼関係を築く」為なので、他者を優先にしなくて良い、というもの。心配しなくても自分自身がしっかり定まれば、他者の事を同様に考える事ができるので、身勝手さは薄くなるものだから。


そして、同時に伝え続けているのは、「その結果はきちんと自分で受け取る」というもの。自分の行いによって、きちんと返ってくるものがあるという事を実感する、という事までがセット。

受け取りは、自覚する自分自身が「良い(快)」というものばかりだけでなく、逆のものだってある。”良いとかその逆”と判定するのは、「自覚する自分」という存在だから。


その結果をみて不快ならば、自分の在り方を工夫・考えてみる、という見直しになる。

正しく真面目に生きていればすべての結果が良い訳でもなく、何よりいい意味で「軽やかな自分本位」のあまり考えすぎない人々の方が、自由度が高い事もよくある話。そんな風に書いていると、その「やっぱり結局同じだよなぁ…」という映像(構造)が脳裏を流れて行った。

現在地に無理がなく、余計な力があまり要らない所にいる事による自然とも見える。”自分の居場所”というのは、それだけ大切なのだという事も感じつつ、ちょっと別の話へ。

・・・

人は、何をきっかけにして自分の考え方(在り方)が変わるか分からない。余計な事に気を散らさずに、自分に集中すること。

「きちんと主張をする」

という事をここで改めて自身の気づきに上げる人もいる訳です。


それは、今まで普通にモノを言ってきた人の話でなく、思っていても言わない、または言えない人の話。小さな自らの力一つだけではやっぱり難しく感じる人が殆どな訳で、今一つ勢いづかない所に少しずつヒビが入って行く。とても大切な過程でもある。

私はそういう所を見て来ているし、心から応援している。


頭では理解し分かっている事からいざ、”実行”という所は、思う以上のハードルがある。

タイミングが良ければその時を利用して行けるかもしれないし、機会は諦めなければ何度でも掴めるから(*^^*)

自分の思う世界を創りたいなら、自分自身に力をつけて創り上げていくのが良い。私はそんな風に思い信じてきたので、やり続ける事を選択している。見える世界は自分のフィルター。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!