つつじとサルビア
人のブログを黙読していたつもりが、音声駄々洩れになっていた私です、お早うございます。
「蜜を吸ってたなぁ…」って子供の頃の記憶を話されて、ホント?私、ツツジの経験ないよ。サルビアって分かる?あれを吸って育ったよ(*^^*)
「オレは花で育ってないけどね(;´・ω・)」
と言われました。学年一つしか違わない主人。時代的に話は合うのだけども、「給食」のメニューでも互いに「えっ、知らなーい!」なんて言うものもあります。
同じ国に生きていても、子供の頃から育つ環境って全く違うんですよね、当たり前に。
それが社会では足並みを揃えるようになった。よくよく考えてみると、何か、凄いですねえ。。。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
自分と言う肉体を境に見た時に、外ばかり見る事が当たり前の状態になっていると、確かに「刺激」は欲しくなるんだ、でないと感情が動いてくれないから。
人は喜怒哀楽を感じたい。特に喜び・楽しみは自分の「肯定材料」。前へ進むための糧になる。自分自身を心地の良い状態に持っていき、「環境を整えている」とも言えると思った。
長い事、物質的に恵まれた環境・世界を活かしてもらえた私たちは、それが当たり前だから自然とその状態をキープしようとし、その為にお金が必要で、「稼がなくちゃいけない」というあり方を選んでいる。
先日主人がまた、他愛もない質問をしてきた。答えはないけど、漠然と考えるにはおもしろい、と思った。
一般的な「働く」という事をしなくても、7割もらえるのと、働いて1.5倍もらうパターン。みんなはどちらを選ぶのかねぇ?と。
人って結構働き者だから、働きたい!という意欲じゃなくて、「働かなくちゃ」って思う人は多いんじゃないのかねぇ。意外と1.5倍を選ぶんじゃないかね?
主人は迷わず7割を選んだ。主人はまだ経験していないし、「大金が欲しいと考える人」なんだけど、選択は「7割」。意志の強さは「やりたい!」よりも「やりたくない!!」の方が強烈なのよね。(主人はお金よりも「自由な時間」がいい、という事)
逆に主人に聞いてみた。
「欲しいと思うんでしょ?えらい大金があったら、それ自分に全部使える?」
「1年くらいは車だ、なんだと、使えるかもしれない。でもずっとは無理だな(;´・ω・)」
「そうしたら結局自分以外へ回していくしかないんだよね…いらないんだよね、そんなに、お金って。」
自分の贅に使っているようで、その使ったお金によって誰がどのように潤うか、と考えながら使う人も世の中にはいるので、持たない事は良いという話でもなくて。
表向きではなく、心からそのように出来る人が実際に大きなお金を手にし、動かしているのだと思っている。
お金と言うエネルギーを動かすのがうまい人は、それをやればいいし、人の気を動かせる人はそうすればいい。みながそれぞれに得意な事で循環の流れができればいいなぁと、思いましたよ。
・・・昨日はニンゲンってホントに「感情を感じてればいいんだ」、とふと思ったの。昨日はスマホ片手に、ブログ等の記事を見たり、動画を視て…何となく。
この時に思ったのね、「何を探してるの?目的なんてないのに」。自分の動作がただ行っていた事と、何でやったんだろう?と考えた時に、おもしろいもの、楽しいものないかな~、と小さく思っている自分を拾った。
そう言う事か。外に目を向ける時って、感情を引き出してくれる「刺激」を求めているんだと。なるほど、これが外へ外へとどんどん求めていく理由なんだと。
内側に留まった状態で、「刺激」を探すには、心は静かで穏やかに、いつもの・通常の「日常」からソレを見つけなくちゃいけないから、難しいんだね、満足しないんだね。
日常では「当たり前」にしてしまった、その環境の中から「ある」をアタマでなく、ココロで感じる事はかなり地味だし。
いつもいつも感じ取っているのって難しい。そうなったとしても状況によりすぐまた強い刺激に持っていかれたりもする。
そんな事に気づいて、外でなく内へ目を戻して…、の繰り返し(*^^*)内側から少しズレてるな、と気づけました。