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関わり方が変わる

何かの条件、ルールがなければさ。

ソレに対しての反応って変わるものなんだよね。

ほんと、そうなの。

それだけなんだよ。

そしてそれは、

必ず最後は「個人の都合」にかかっている。

・・・

庭の端の方に、取った草をまとめてある場所があって。

そこに、決まって黒ネコがお昼寝?しに来るの(*^^*)

日向ぼっこ、重さで形がキレイに凹みを作ってかわいいの。

それがさ。

うちにはネコに強く反応するワンが2ピキいるもんで、興奮して吠えが収まらないワン達を注意するか、サンルームへ行かない様に窓を閉めるか。またはネコにどっか行ってもらうか…。

どれかをしなければならないんだよね。

私がガチャガチャ音がするのが苦手だから、吠え通しの中にずっとは居られない。

その日は窓を閉めて対応したんだけど、台所の窓から見えるネコの気持ちよさそうな寝姿がかわいいの。人に馴れてて、こちらの声かけをした時だけ尻尾の先を小さくゆっくり揺らすの。吠え声には微動だにしないのに。

『数日、ネコが寝に来るんだけどさ…。可愛いんだよね(笑)ワン達が騒ぐから、そこ、閉めちゃってるけど』

出勤前の主人に話すと、出かける前に覗いて「いいねぇ…、田舎って感じだね(笑)」って言ってた。

反応・対応って。

自分に関係したことは「自然と」出てるし、関係ないことは「自ら」出して行かないと、関係することはできない。

そんな事を感じた。


定期的にチェックをして”データ整理”をするのだけども。

昨日はスマホのPDFデータを。

後で読む予定だったとか、ダウンロード保存がなされて、いつの間に増えてしまっているデータを、中身を確認しながら削除していった。lineメモに残していた古いメモも同様に。

『私は、定期的にこういうのやるんだけど、PDFはそんなにあると思ってなかった(笑)データ整理すると頭の中がスッキリする感じがあるんだよね、私(*^^*)』

「あー、そうなの(苦笑)」

『Yさんもちょうど昨日、やってたじゃん。珍しい事するなぁ…って思ってたけど、その時は何も言わなかったんだ。タイミングがちゃんと合ってるじゃん(笑)』

いつも録られるF1録画。これが先週末に録られていなかったらしく、調べたら”容量一杯”だったらしくて。それで今までの、溜めに溜めた録画内容を消去していたらしい。


人って、本当に自分が納得しないと動かないので。

何か、他者に言われたことが、「自分の中に響く(聴ける)」というのは、ある意味能力(脳力である)かもしれない。そればかりでもまたダメではあるけども、今回の「データ」に関しては、「視ないのは消せばいいじゃん…」と、古い録画年月を目にして言ってきたこと。

先日の「靴下」もそうだけど(笑)、自分と他者の尺度というのは、本当に全く異なるので、どこまで許容しどこから口を出して行くか、という”加減”は、家族であれば「やってみる」しかないと、私は考える。

社会における他者に対しては、そんな事はしないのが”通常”だけど、家族というのは、他者といえども自分に関係する事が多くあるから状況によってはストレートに、そしてぶつかったりもする。


自分の「減」具合が続くと、後の反動で「加」へ反転しバランスする。こんな見えない加・減の塩梅は、コトに当たり、そして後になってその時の自分の「加減度合い」が見えてくるように思う。その様なことをこの土用期間にしっかりと観ることができた(人間らしい記事は”ライブドアブログ”にするのでここでは書きません)。

”正反対”であるという事の、”利点”を先に経験してきて(そう感じていて)、この期間では、その”逆”をよく観ることができた様に思う。

他者(主人)の事だから、余計なことは言わない。

その様にしてきたし、そうでなければ”ならない”、という思いに近かったと思う。また、それが主人に必要な「時」だった、という事も既に観えている。

だけどもその後に、これは「観えてきている」ことから判明するのだけども、「言わないと本当にわかんないんだな?」という事がポツポツ出始めることで、互いが互いに関わり方を変える(考える)、という所に繋がっていった。


主人と”関わり方”を話し合ったという意味でなく、そんな事は話さずとも、お互いに全く今までと違う「接し方」をする事が「共有」されているかのよう。私自身は「この人とこんな接し方ができるんだ…」と、同じ主人を前にどちらからともなく、どちらも今までと違う関り方をしている事をしっかり感じていた。

それについて、主人も同じ思いかどうかは全く別の話で、ここはそれこそ私が、「私と主人、”その間”」にいて、見ている感覚も持った。

要らないものは適宜捨てる。
いつか使うかな~…、で取っておく。

性格が反対なので、在り方が全く異なる。

自分が何か、困ることに出会って初めて、自分の中に”聴き入る状態”ができてくる。それまでは、外の声は五月のハエでしかない。

新しいものはどんどん生まれてここへ流れている。「入らない」と解って、溜めていたものの整理の必要性に気づく。

不要はきちんと整理、片付ける。

新しいデータは待ったなしで、どんどん入ってくる時代。情報の衝撃の強さ(重さ)はある程度飽和している(マヒしている)かのようで、それに代わるのがこの”スピード(感)”。

数か月前のことなんて、既に思い出すこともないほどに次々と上書きされていく。今までの存在がまるでなかったかの様に。


「外に合ってくる」

という事に触れる前に一先ず終えてしまいました。

主人が録画ができなかった事をきっかけに、「データ整理」をしていた事は、タイミングが良く、やっぱり”合ってるなぁ”と感じていた。

人は、自分側に「自覚があるなしに関わらず」、きちんと必要なことを選択している。

ただ。
それを待ちきれず、あれこれとコマを動かしてしまい、余計に分からなくしてしまうのが”こちら側”。

大きなよく分からない結果、”動き”を、受け止めるのは、こちらの小さな「自分」である事に、少し目を開きたい。

「うみのみかをサポートしたい」と行動させてしまう様なクリエイターです(*^^*)。私も同じように読まれた方のサポートになる事を意識しています。 自覚を保ちしっかりと進んでいきます!